プロテスタント
ルターやカルヴィンが「聖書のみ」と高々に宣言した背景には、「デフォルトとしてキリスト教」があったからこそ、プロテスタント宗教改革があのような大きな運動になったのではないかなあと(特に教
会を離れた現在)個人的に思っているのですが、「デフォルトとして仏教・神社」というコンテキストの中では、「言葉による信仰の頼りなさ」を私は感じます。
理性に、或いは感性に偏重する要因を「言葉による信仰」をモットーとするプロテスタントが内包しているのでしょうか?
ふと感じることがあるのですが、この国で「プロテスタントである」(常にプロテスタントであり続ける)ということは、なんだか大変なことにのように思ってしまいます。
カトリックでは「リアル(事実)そのもの」である事柄を、プロテスタントでは「リアリティ(実感)」として扱っているような、そんな差異を私は連想しました。
Nov16,1997