life-いのち、生活、人生
1月17日の未明、ひっくり返るような揺れの中に冷静に思考することもできず、恐怖感から、ただただ布団の中に身を横たえていました。曙光の気配さえなく、街灯も消え、ただ闇が支配していました。懐中電灯の備えもなく、ろうそくとマッチをようやく探し出してマッチをすった瞬間、薄暗い中に、ひっくり返った家具の中に横たわっていた自分を見ました。
1月17日の朝、一番印象に残っていることは、なにごともなかったかのように東の空が明るくなり、曇り空の中に夜が明けたことです。自然な、あたりまえの出来事が、なぜだか不自然に感じ、そして、とても尊く、ありがたく感じました。
人が こんなに つらいのに
主よ
海が あまりに 碧いのです。
長崎 出津の海を望む丘の上の歌碑・遠藤周作
私は神戸の西の端、明石海峡を挟んで淡路島を望む垂水区に自宅があり、本務校は神戸の東の端、芦屋に隣接する東灘区にあります。自宅の被害は、罹災証明書では一部損壊でしたが、本務校近辺は被害の甚大な地域で、傾いたビル、全壊した木造家屋が続いています。
本務校が避難場所と遺体安置所となった関係で、生き残った方々と、いのちを失った方々(ご遺体)のお世話のため、2月末まではほとんど泊まり込みの毎日でした。いのちの重さを身体全体で感じました。教室の床に置かれたご遺体に安らかな表情はなく、髪の毛の中まで土埃にまみれ、体の一部を失い、鬱血で変色したご遺体を前にして言葉はありませんでした。静まり返った夜中に線香に火をつけながら、あるいは棺桶に釘を打ちつけながら、自分の中にいのちがあるということが、とても不思議に思えました。
遺体安置所であったと同時に、避難所でもあったので、ずっと感傷的になっているわけにもいかず、食事の確保、トイレ・衛生面の配慮を、何もないところで工面せねばならず、死のstaticと生のdynamicの狭間で揺れ動いていたのが最初の1週間程でした。
lifeという言葉の持つ様々な意味(いのち、人生、生活 etc.)を今回の地震で考えさせられました。いま、家屋やビルの取り壊しが春の日差しの中で進んでいます。家族を失い、自宅を失った方々にとって、<いま>と<これから>が、lifeを模索する時期です。
March 31,1995