生きていくために

 地震が起こって2、3日は、ただ生き延びることで頭がいっぱいでしたが、ちょっと経ってからは、赤ちゃんのミルク、紙おむつの確保に苦心しました。わたしのいた避難所は2月中旬までは300人程で、小さいお子さんも何名かはいましたが、4、5日でおられなくなりました。やっぱり体育館での、あの状況は、小さい子どもには劣悪過ぎます。結局は親戚や知人を頼って避難所を出られたようです。救援物資の紙おむつ・ミルクは、ご近所の、自宅に残られた方にお配りしていました。

 お年寄りの方の紙おむつには困りました。子供用は救援物資として入ってきましたが、お年寄りの方のものは絶対数が足りませんでした。

 おしり拭きもそうですが、使い捨ての湿式タオルが重宝しました。それにウエットティッシュも・・・。水はとにかく飲料用の貴重品でしたので、衛生面が心配でした。喫茶店やファミリーレストランで出される、厚手の紙タオルが大活躍でした。

 早々に避難所を後にされた小さいお子さん連れおかあさんにとって、わたしのいた避難所は、ただただ無力だったと思います。粉ミルクを溶くお湯も、赤ちゃんの体を拭うお湯も用意できませんでしたから。

 お体の具合の悪いお年寄りの方や、小さい子どものいる家庭のご苦労は、並大抵ではなかったと思います。生き延びられたことに安堵したことも束の間、大変な毎日が続いたことと思います。

 今思えば、あのような苦しみのドン底のような状態だからこそ体験できたこともありましたが、二度とあんなことは御免です。都市の中で、水道とガスが使えないと、飲み食い以上に、衛生面の確保が出来ないことを痛感しました(電気は、かなり早く復旧しました)。もし夏場だったら、もっと大変だったことと思います。
September4,1995

itsumi
震災