「摂理」を巡って
昨年の震災で、同僚の妹さんが壊れた自宅の下敷きとなって亡くなられました。私は知らなかったのですが、3月に妹さんの挙式が決まっていたそうで、後になっていろいろ話してくれる中で知りました。「言っても仕方がないけど・・」と、いろいろ笑顔でしゃべる同僚の目が赤いのです。
その同僚の悲しみ、婚約者の悲しみ、両親の悲しみ・・・、いろいろ考えるとたまらなくなります。慰める術(すべ)を持たない私は、ただただ、その同僚の話すひとことひとことを聞くのみでした。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」という聖句を引き合いに出すことがはばかられます。当事者でないからこそ言えるのかもしれませんが、それも摂理なのかなと感じます。もちろん自分が当事者なら(当事者の近くにいるなら)、そんなことを考える心の余裕はないでしょうが・・・・。
Feb23,1996