あきらめ・ゆめ
<結果と戦おうという姿勢>は大切だと、そして必要なことだと、私は思います。一生学校の中に安住するわけではないので、<結果と戦おうという姿勢>を育てることは、人としての教育の大きな柱のひとつではないのかなあと感じます。
試験勉強を頑張っても、結果として資格・免許が取得できないと仕事に就けないケース、上級の学校で学ぶことが出来ないケースetc・・・。
「あきらめる」という言葉は「明らかに見る」からきたそうです。
<イメ>が転じて<夢>となった、と聞いたことがあります。イメ、つまり<異なるものを見る>ということです。育むということは<夢>へと導くことかもしれませんね。もちろん受動的ではなくて、能動的に。
<異なるものを見る>が<明らかに見る>へ、つまり(本義としての)「夢をあきらめる」ことを、正しく受け止めることが教育では?
競争に勝つのではなく、自分に克つのであれば「自分自身にレッテルを貼った上でそこに安住」ということはなく、競争に負けても、或いは悪い結果であっても、そこから活路を拓いて夢へと出発できるのでしょうが・・・、そう簡単にいかないので教育が問題となるんですね。
漱石が「こころ」の中で「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ。」という表現を使っていますが、教師が教室で「精神的な向上心」を示すことが第一歩ではないかと思っています。
Sep15,1997