絶対的他者との相対関係
相対的な存在である人間は、相対的な他者との関わりの中から、自分の絶対的な位置や、自分の存在の絶対的な意味を知ることは出来ないのかも知れません。
絶対的な他者である神と出会い、その関わりの中から、自分の絶対的な位置を知り、自分の存在の意味を知って、 ” Who are you?” との神からの問いかけに自分をさらけ出し、自分を退けることが出来るのでしょうね。
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月曜から教え子と共に韓国をたずねていました。北との軍事分界線沿いの統一展望台やソウル市内の戦争記念館での彼らの表情を見ていると、これまで知識として知っていた「韓国と日本の差異」のリアリティ(現実性)が、現実(リアル)の前でちっぽけであると感じました。まさに百聞は一見に・・です。
彼らにその場で ” Who are you?” と聞きたかったのですが、止めました。リアルのまっただ中で、私のフィルタ、私のリアリティは無力です。彼らに質問することや、その応答を聞くこと、それに対しての私からのもっともらしいフィードバック、そんなことをする資格は「ない」と感じました。
” Who are you?”と問い掛けるということは、(どんな場面でも)軽々しいことではないなあと、思い知りました。
Sep26,1997