人格・尊厳・大切

 私にとって「相手を大切に思う」ということは、頭ではわかっていてもなかなか出来ないことだなあと思います。

 どうしても自分の「ものさし」で相手を計り、自分の気持ちを相手に押しつけてしまいがちなになります。「相手の為」というより、自分の自己満足だったりします・・・。愛とは程遠い、いや似て非なるもの?

 ある牧師が、「愛とは、その人のことを心から思い、その人の希望を理解し、その人の希望が叶うことを自分の願いとし、そして、その人が希望に到達したときに、そのことを心から喜べる。」というような言葉で話していたのが心に残っています。

 相手に対して、「こうなって欲しい」との思いを抱くのは、ある意味では、相手の人格・尊厳を軽視している部分があるのかもしれません。ほんとうに相手を大切に思うのなら、「こうなって欲しい」ではなく、あるがままの相手を心から受け入れることが出来るのでしょうね。

 ”「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無視」だ。”というような言葉を聞いたか読んだことがあります。相手を自分と対等な人間として認めるが故に「憎しみ」という感情が芽生えるのかもしれません。

 相手に対して熱い思い・冷たい思いを感じなくなってしまった時に、その相手のことをあまり考えなくなり、そして大切に思わなくなり、そのことが、いつのまにか軽視・無視へとつながるのでしょうね。

 「相手を大切に思うこと」以上に「自分を大切に思うこと」は難しいかもしれません。

 自分を一個の人格・尊厳として認め、その上で「自分を大切に思う」、つまり「自分を愛する」ということを、私自身はなかなか出来ないです。「ほんとうの自分」と対面出来ていないのかもしれません。

 隣人を愛すること・自分自身を愛することがたやすいことではないように、「私の規定する神」・「私の信じる神」ではなく「ほんとうの神」への信仰告白もたやすいことではないと、最近ようやく気付きました。
 May07,1998

itsumi
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