パラノキッズ
学校では、いろいろなことに気を配るけれど、最後にはテストの成績・進路なんかで人を判断したりすることについての是非の意見がありますが、私は、むしろ履歴書の学歴欄が、社会における大きな判断基準であることの方が問題のように思います。これまでの「門地」ではなく、「学校の判断」が尊重されることは悪いことではないのですが、でも、「何を学び、何を修得し、何を専門とするか」ではなく、「どこの学校出身」(学校歴)と、結局は「門地」・「毛並み」を問われているように思えます。
人を育てるのは、学校のみならず、まず家庭であり、近所であり、地域社会であり、そして教会であるべきだと思うのです。でも結局は、学校に頼る(すがる?or押しつける?)ところが問題ではないかなあと考えます。
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教会学校が、「神の御前に立つ人を育てる」という側面よりも、聖書教育に偏向し(かなり語弊がありますが)、「クリスチャンを仕立て上げる」ことに目が向き、受洗者数、受洗率が気になるようになったなら、学校教育の問題点の多くが教会学校に当てはまるようになるのかもしれません。
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教育が、親にとっての投資となり親子共々安定志向、「夢見る頃」を経験することなく大人になる。悪いことでは決してないんですけど・・・。
Sep27,1997