深い河の底流
『日本人の心に合う基督教』というのは、決して『「日本人の心に合う」神を求め』ることではありません。遠藤もわたしと同じ(いや、わたしが遠藤と同じ)だと思います。
『日本人の心に合う基督教』とは、日本人<として>YHWHに対峙するということです。信じる側の<信仰の姿勢>を云々しているわけです。
もし日本人キリスト者が、日本人の心に合う神と対峙しているのなら、これこそ正に汎神論的神理解に他ならないですよね。
日本というcontextの中で、中東やヨーロッパというcontexの中で受け継がれてきた信仰の姿勢を、そのままの形で通用させようとしている<もの>への警鐘の音をわたしは聞きます。
July7,1995