伝道
午前中に、天理教の伝道・家庭訪問を受けました。家内ならインターフォン越しに断るのでしょうが、私は、どんな話をするのか興味もあって、玄関先で、その方のお話を伺いました。
真面目そうな方で、一生懸命にお話されるのですが、「天理教の言葉」で「天理教の恵み」を話されるので、その方が「ありがたがっておられる」信仰の内容に関しては、短い時間の中ではわからなかったです。
その天理教の人が、短い時間の中で、心から信じておられることは、よく伝わってきました。そして、「自分の信じているものを伝えたい!」との純粋な思いがにじみ出ていました。
ただ、私は、若干の天理教の知識があったので、漠然とですが、何を云わんとされているのかが、なんとなくわかるのですが、天理教の知識のない人にとっては、ちょっと宗教色が強くて、受け入れ難い話だろうなあ~、と思いました。
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私自身も、友人・知人に、伝道というほど大それたことではありませんが、自分の信じている信仰について、聖書の話、イエス・キリストについて、宗教とは?・・・などなどの話をしたことが何度かありますが、どこまで伝わったか?? 結局は、私の「ありがたがっている」内容の片鱗に触れ、「そんなことを信じて、ありがたがっているのか?」と思われただけかもしれません。
「伝道する」とは、自分の信仰を他人に「証明」するようなものなのかなあ~、とも思います。「私は、こんなことを信じている。これは素晴らしい!」ということを、他人に、少なくとも「納得」してもらわないと、伝道ではなく「クリスチャンのひとりごと」に終わってしまうようにさえ、思います。
自己満足で終わった伝道が、今までに多かったなあ、と思います。
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「私の信仰」って?????、と改めて、違う視点からあれこれ考える機会が与えられた、予期せぬ代休の「ひとこま」でした。
Dec11,1999