冬の京都、嵐山・嵯峨野 にて

 ここ数日、寒さも緩み、昨日は京都の嵐山、嵯峨野をぶらぶらしてきました。京都は寒いかなあ~?と少し着込んで出掛けたのですが、歩き回っていると汗ばむぐらいでした。春から夏、そして秋にはよく訪れるのですが、行楽シーズンから外れた昨日(年末の平日)は、ほんとうに人影もまばらでした。

 鳥のさえずりの中、「暖かさ」を感じるほどの陽射しを浴びると、早春の真っ只中に放り込まれたような錯覚に陥いるほどでした。阪急嵐山駅から渡月橋を渡り、大堰川沿いに亀山公園、竹林を抜けて嵯峨野の旧い街並み(みやげ物屋街?)をぶらぶらして化野(あだしの)念仏寺まで・・・、

誰とても
留るべきかは あだし野の
草の葉毎にすがる白露 
 (西行法師)

 今までは、多くの観光客に混じって訪れていましたが、境内には2,3人しかおらず、静かな境内にある多くの石仏・石塔の丸みを見て、私は「はかなさ」を感じました。

 イエス・キリストを信じて永遠のいのちを得た。聖書によって真理を知った。神と共に歩み喜びで満たされる。喜び、期待、希望、愛に満ち溢れたクリスチャン生活・・・とは私の存在はあまりにも縁遠いです。

 むしろ、キリスト者になって、聖書に触れるようになって、悲しみや苦しみの多さを知ったことの方が多いかもしれません。今まで見なかった、或いは見えなかった、若しくは見ようとしなかった物事の側面と対峙することが増えたように思います。

 「はかなさ」という感情がキリスト者として、あまりポジティヴなものではないような気もしますが、でも、そんな感情を持っている自分自身と向き合うことは大切なように思います。

 化野念仏寺を出て、旧い街並みを戻って、帰りは落柿舎の前を通って賑やかな通りへ出て京福電車の嵐山駅へ。久し振りにチンチン電車に乗って四条大宮へ出ました。

 阪急で大阪・梅田で降りたのですが、あっという間にクリスマスの飾りつけが迎春の飾り付けに代わり、この時期特有の雰囲気に浸りながら、ぶらぶらしました。それにしても、今年の年末は「Y2K」が一つの商売になっているようにさえ思えます。

 そういう私も、アルカリ電池を買い込んだり、レトルト食品、普段は食べないカップ麺、カセットコンロ用のガス、ろうそく、飲用水、缶詰等々を買い込んでしまいました。(^_^;) 大きな地震を経験したのに、いつしか防災用品の備えがおろそかになっていましたので、一つのきっかけとして・・・・・。
 Dec30,1999

itsumi
信仰を巡っての断片