Negative Capability

 先週の「クローズアップ現代」で、

『迷って悩んでいいんです 注目される“モヤモヤする力”』

というタイトルの番組で、久し振りに見入ってしまいました。

 「モヤモヤする力」は、イギリスの詩人キーツが「不確実なものや未解決のものを受容する能力」として”Negative capability”という語彙で言い表したのがルーツのようです。「消極的能力」や「否定的需要力」のような訳語がありますが、特に定まった訳語がなく、クローズアップ現代では「モヤモヤの力」という表現を用いていました。

 事実や理由を短期的・短絡的に追求することなく、不確実さや不思議さ、懐疑の中に身を委ねて、さまようことを愉しむ。或いは、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に対して焦るのではなくて、アレコレと考え、立ち止まって「迷う能力」。

 「諦める」と言う言葉は、元々の意味として「明らかに見る」という『積極的で肯定的』な意味があるそうです。諦めることによって、選択肢の1つが消去されるわけですから、諦めることは「収束」を意味する・・・とも言えます。

”Negative capability”「モヤモヤする力」は、「諦める」とは正反対で、モヤモヤ・混沌とした中で、先が見えず、あれこれ考えたり、逡巡したり、彷徨したりと、「諦めきれない」「未練」というような語彙とアナロジーがあります。

 人生の岐路(ターニングポイント)で、選択肢の中から1つを選んで、他を諦め・切り捨てるという「あれか これか」ではなくて、人生の岐路に立って、そこに立ちすくむようなイメージが”Negative capability”「モヤモヤする力」とも言えます。

 旧約聖書に、シナイ野でイスラエルの民が40年間に渡って彷徨ったことを「荒野の40年」という表現をします。ドイツの敗戦40年にあたる1985年5月の連邦議会で、当時の西ドイツ・ワイツゼッカー元大統領が「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という演説を行っています。この演説は「荒れ野の40年」という名前で知られていますが、まさに、敗戦後40年のドイツは”Negative capability”という言葉が(語弊があるかもしれませんが)言い得て妙ではないかと思います。

 「モヤモヤする力」は、また、「あれか これか」と言葉でヘーゲル批判をしたキルケゴールの実存主義と、「あれも これも」というヘーゲル哲学との対立構図の中で、浮かび上がってくるようにも感じます。

混沌として逡巡する時に、ブレインストーミング等で、とにかく雑多で無秩序なデータを思いつくまま「あれも これも」挙げて、どんどん拡散。

その後にKJ法を用いて、因子・要因をグルーピングして、背後にある通奏低音のようなものを引っ張り出して「あれか これか」と、収束の方向へ・・・。

 「モヤモヤする力」と言う言葉で、詩人のキーツ、思想家のヘーゲルとキルケゴール、ワイツゼッカー元西独大統領、それとブレインストーミングとKJ法など、いろいろなことが頭を過ぎりました。

 今朝、サイクリングで立ち寄った明石・大蔵海岸からの日の出直後の後継です。朝6時半を過ぎて、ちょうどラジオ体操をしていました。強烈な猛暑も過ぎて、早朝は過ごし訳なった神戸ですが、1時間あまり軽く自転車で走っただけ、結構汗をかいて、帰宅後熱いシャワーを浴びると・・・また汗が流れてきました。

itsumi
blog(つれづれに)