夢の架け橋
垂水の街中を流れる福田川の河口に、鉄筋の骨組みがあります。これが何か?一見しただけでは・・・ちょっとわからないかもしれません。以前、此処に高いタワーが立っていました。この鉄筋の骨組みは、本州四国連絡橋公団の観測塔の土台、遺物のようなものです。
明石海峡大橋の構想は、元元神戸市長の原口忠次郎の提案だそうで、太平洋戦争前の内務省神戸土木出張所長の時に鳴門海峡架橋を提案し、そして神戸市長就任後、1957年に市の予算案に独自の架橋調査費を盛り込んだそうです。当時は「実現不可能な夢」という意味で「夢の架け橋」と揶揄されたそうです。
ただ原口元市長の情熱は国を動かし、1959年には国も調査を始めて、そして1964年には、福田川河口に風力などを調べる高さ80メートルの観測塔が建ったそうです。その後、「夢の架け橋」が実現する30年以上に渡って、二十四時間態勢で海峡の風が記録され、本四公団の事務所にデータを送っていたようです。写真は父が撮ったもので、おそらく観測塔が建った直後のようです。
阪神淡路大震災の直後に開通して、もう四半世紀以上の歳月が経って、架け橋のある光景が、今は自然に感じます。