五色塚古墳

 今朝は、舞子公園から垂水の海神社まで海岸沿いを散歩して、マリンピア神戸の西端付近から丘陵の上に古墳が見えました。千壺古墳(五色塚古墳)です。国道2号線から南側は、数十メートルで砂浜となって、1枚目の写真えお撮っているポイントは、かつては砂浜は、或いは海だった場所です。

 五色塚古墳は、古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃だと推定され、日本で最初に復元整備が行われた古墳です。太平洋戦争までは、この古墳一体は松林だったそうですが、太平洋戦争中に油採取等に利用するため伐採され、戦後には畑地として開墾、そして今は住宅地となっています。

 古墳に埋葬されているのは、明石海峡やその周辺を支配した豪族のトップと言われています。古墳に使われた石は、明石海峡対岸の淡路島から運ばれたようで、海峡を挟んで淡路島をも支配した豪族のようです。写本が残されている播磨国風土記には、残念ながら明石郡に関しては欠損して残っていないようですが、日本書紀では神功皇后が三韓征伐からヤマトに戻るときの記述があります。

・・・乃ち天皇の為に陵を作るといつわり、播磨にいたりて、山陵を赤石に興(た)つ。よりて船を編みて淡路島にわたし、其の島の石を運びて造る。・・・

 日本書紀、神功皇后摂政元年2月条より

 崩御した第14代仲哀天皇の陵の造営のためと偽り、淡路島まで船を渡しその石を運んで赤石( 明石)に陵を構築したという伝承で、この近辺では五色塚古墳以外には該当する陵が見当たりません。これより仲哀天皇の偽陵ということになりますが、実際に誰が埋蔵されているのかは、いままで埋葬施設の調査もされていないようです。

 住宅地の中で、錆びた案内版を見つけました。数十年以上前のもののように感じます。

  前方後円墳は、淡路を向いており、墳丘長が194.0mで、後円部の高さが18.8m、明石海峡を見下ろす丘陵の海側にあるので、古墳の存在は、古代に明石海峡を行き来する船からは、象徴的に見えたのではないかと思います。

 

itsumi
blog(つれづれに)