山川 登美子

 恋衣は、明治38年に与謝野鉄幹の弟子だった山川登美子、増田雅子、与謝野晶子の3人の短歌が収められた歌集で、その中で山川登美子は「白百合」と題して131首の短歌が収められています。その「白百合」の冒頭の歌が、

髪ながき 少女とうまれ しろ百合に 
額(ぬか)は伏せつつ 君をこそ思へ
    山川登美子

 明治33年に刊行された詩歌を中心とした文芸誌「明星」の第10号の表紙が、「白百合の君」と言われた山川登美子をモチーフにしたと言われています。この明星の表紙、背後に星が輝いているシチュエーションは、夏目漱石の「夢十夜」の第一夜とオーバーラップします。

・・・すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹るほど匂った。そこへ遥かの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁(はなびら)に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。・・・
     「夢十夜」第一夜から、夏目漱石

 ロマン的で唯美的な情景ですが、山川登美子は、また違った、ひじょうに情熱的な側面も併せ持っています。

わが息を 芙蓉の風にたとへますな
十三絃を ひと息に切る
    山川登美子

  10年ほど前に、山川登美子の生まれ故郷である小浜にある山川登美子記念館を訪れたことがあります。

 此処の展示室に、琴があった記憶が鮮明に残っています。小浜から大阪、東京、そして病で故郷に戻って生家で亡くなっています。その生家が、今は記念館となっています。

 10月に入って、厳しい残暑も収まって、本棚から取り出したのが、山川登美子歌集の文庫本でした。

 

 

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