台場

 台場というと、東京のお台場・臨海副都心をイメージしますが、元々は幕末に、異国船の打払いのために幕府や各藩が、海岸や河岸に築いた砲台のことで、対外的に全国各地に設置された要塞のことです。

 東京のお台場は、ペリー艦隊の来航に脅威を感じた幕府が設置したものです。そして自宅の近くににも台場跡が残っています。明石藩舞子台場の砲台跡が舞子公園内に残っています。

 舞子台場は、第14代将軍の家茂が大阪湾における外国艦隊の侵入の対策として当時の明石城主松平慶憲が砲台拡充の幕命を受けて設置したもので、当時、幕府の軍艦奉行の勝海舟が神戸海軍操練所とともに舞子台場に関しても監修したようです。舞子台場は、明石海峡を隔てて対岸の淡路島に築かれた阿波藩の松帆台場と共に、明石海峡を通過する外国船を両岸から砲撃する防衛線の機能があったそうです。ただ一度も使われることはなかったようです。

 全国各地に築かれた台場は土盛りでしたが、この舞子台場だけは総石垣造で、半星形稜堡で幅約70m、高さ約10mという規模だったそうですが、現在は下層部の6mだけが残っています。その一部が残って公開されています。

 昨日は、明石海峡沿いを自転車で明石・大蔵海岸まで走る途中に、久し振りに舞子台場跡に立ち寄りました。明石海峡の上空には、ぽっかりと雲が浮かんでいました。

itsumi
blog(つれづれに)