土足 神戸ノート 日番

 母校ではないですが、垂水の街の真ん中に垂水小学校があります。明治3年創立で今年で150年、垂水でもっとも古い学校の一つです。元々は駅前郵便局の北側にある洞養寺に西垂水村の徹道学校、それと福田川右岸近くの玉林寺に東垂水村の垂水小学校が創立され、その後合併して垂水小学校となったようで、その後大正12年に現在地に移転しています。

 昭和7年の神戸市に合併するまでは、明石郡垂水町だったのが、神戸市に合併して神戸市垂水国民学校となって太平洋戦争を迎えます。戦後は、おそらく神戸の市街地で戦災に遭った人が垂水に移ったり、戦後のベビーブーム等々で、昭和26年には児童数4300人で学級数が76、そして教員数110人という 日本一のマンモス校となり、 教室不足で二部授業だったそうです。翌年には高丸小学校と霞ヶ丘小学校、翌々年には東垂水小学校が、それぞれ分離独立して、その後昭和30年代の初めに、鉄筋の校舎と講堂が相次いで出来て、それから60年あまり経過して、今、垂水小学校は、その戦後の鉄筋校舎を全面的に建て替え工事の真っ最中です。

 9月の2学期から新しい校舎の使用が一部はじまっているようで、ちょっと前から、工事のための覆いの壁に、学校内部の写真が大きく貼られています。それを見ると下駄箱があります。おそらく全国的には小学校や中学校の入り口に下駄箱があり、登校すると靴を上履きの履き替えて教室に向かうのは、当たり前のことだと思いますが、神戸の小学校や中学校が圧倒的に土足が多いです。

 私も小学校からずっと大学まで土足で、それが当たり前だと思っていました。でもテレビのドラマやアニメ、映画では、小学校に登校すると玄関で上履きに履き替えて、靴は下駄箱という場面があり、「あれはあれ、これはこれ」と捉えていましたが、どうも最近では神戸市内の小学校で、新しい校舎を機に、土足ではなくて上履きになるケースもあるようです。神戸以外では、寺子屋や藩校の名残で履物を脱いで教室に入る習慣が、そのまま小学校に受け継がれたようです。

 神戸は港町が発祥で、西欧的な「土足」が、そのまま当時の神戸の市街地の学校の校舎に導入されたり、太平洋戦争後、六甲山系と海に囲まれた狭い市街地に人口が急増したことも原因のようです。小中学校の大多数が土足というのは全国的にも珍しいというのを知ったのは、大人になってからでした。

 神戸には「土足」以外にも独特の学校文化・慣習があります。その一つが「神戸ノート」

 小学校時代、当たり前のように使っていた「神戸ノート」、各教科ごと、それに連絡帳、自由帳、楽譜、理科の実験ノートも揃っています。市内の長田区にある関西ノートがつくっているノートで、太平洋戦争後の物資が不足していた時代に、神戸の子どもたちのために作られたものです。特に強制でも推薦でもありませんが、市内のスーパーな文房具店では今でも並んでいます。子どもの時には、隣の明石には明石ノート、大阪には大阪ノートがあるものだと思い込んでいました。四国旅行の折に「愛媛ノート」というのを見掛けて、お土産に買いましたが、愛媛の小学校でどのような位置づけなのか、ちょっとわかりません。

 もう一つ、神戸の独特の学校文化として「日番」があります。パソコンやスマホでは漢字変換されません。「日直」のことを神戸では「日番」と言っています。何故か・・・?? わかりません。

itsumi
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