音楽・憂国忌・三島由紀夫

 

 檸檬忌、桜桃忌、河童忌、蝸牛忌、茶の花忌と、作家の命日を偲んで所縁の名前がついたものがあります。

檸檬忌は、梶井基次郎の命日の3月24日で、代表作の「檸檬」から
桜桃忌は、太宰治の命日の6月13日で、短編小説の「桜桃」から
河童忌は、芥川龍之介の命日の7月24日で、小説「河童」や、河童の絵を好んで描いたことから
蝸牛忌は、幸田露伴の命日の7月30日で、露伴の号の蝸牛庵から
茶の花忌は、八木重吉の命日10月26日で、白い茶の花が咲く時期から

 池袋で勤めていた頃、11月になると街の彼方此方に「憂国忌」のビラが貼られていました。憂国忌は三島由紀夫の命日で、短編小説「憂国」に由来しています。三島は、「憂国」の脚本を書いて、監督・主演もつとめた自主映画もあります。

 学生時代には幾つかの作品を読んで、中でも遺作となった「豊穣の海」の4部作のうち「春の雪」が好きで、三島由紀夫全集で「豊穣の海」が収録されている13巻と14巻は手元にあります。文庫本で残っているのは2冊だけですが、以前は「仮面の告白」「金閣寺」「潮騒」「美徳のよろめき」「近代能楽集」「花ざかりの森・憂国」「宴のあと」「音楽」「真夏の死」そして豊穣の海の4部作が手元にあった記憶があります。

 「音楽」という作品も好きで手元に残っています。「音楽」の舞台として山谷の街の描写があり、山谷の街ってどんな処なのかと学生時代は思っていました。

 これまで、小説などで描かれている場所を訪れたいと思って、実際に訪れた処として、夏目漱石の小説「三四郎」で、美穪子と出逢った東京大学の心字池(三四郎池)と千駄木の団子坂。それに伊藤左千夫の小説「のぎくの墓」の舞台で葛飾・柴又から「矢切の渡し」に乗って松戸市の矢切。また村上春樹の小説「1973年のピンボール」に出てくるような光景と思われる神戸の灘区上野通り辺り。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の舞台となっている文京区向坂の漱石旧居跡(猫の家)。遠藤周作の小説「沈黙」に出てくる長崎の黒崎・出津の海岸。志賀直哉が短い期間住んでいた尾道の坂のある町。

 三島の「音楽」の舞台となった山谷へも行きました。おそらく音楽が描かれていた1960年代の山谷とは、大きく街の姿も変わっていたと思います。此処は梶原一騎の漫画「あしたのジョー」の舞台でもあり、いろは通り商店街の入り口付近に、あしたのジョーの「立つんだ像」もあります。

 小説で描かれた時代から半世紀以上が経っていますが、おそらく半世紀以上の年季の入ったような簡易宿所も残っています。普通の民家のような建物の入り口に「空室あります」の紙が貼ってあったり、テレビ・冷蔵庫完備を謳っている簡易宿所もあります。今は外国人のバックパッカーが訪れ、安価で安全な宿として海外で紹介されているようです。

 玉姫神社に隣接する玉姫公園には、ビニールシートで暮らす姿もあり、公園の一角を占めています(7年前の撮影)。

 この辺りは、江戸時代にあった小塚原の刑場の南に位置して、「泪橋」が山谷のドヤ街の北に位置しています。また山谷のいろは会商店街と、土手通りを挟んで、かつての江戸の遊郭「吉原」にも隣接しています。

 小説「音楽」では、「音楽がきこえない」という麗子が、主人公の精神科医とともに山谷のドヤ街を、兄を探し廻る場面があり、それが印象的でした。三島の小説に描かれた「美」は、小説「金閣寺」や、「春の雪」のような美しさとともに「奔馬」で描かれている美しさ、そして「音楽」における「オンガクオコル」という電報で知らされた美しさ、と多様多種のように感じます。

 三島の本籍は兵庫県の志方町で、十数年前に志方町にある三島の慰霊碑を訪れたことがあります。三島は東京で生まれ育ちながらも、徴兵検査はの加古川町公会堂で徴兵検査を受けたそうです。

 しばらく三島の作品に触れていないので、せっかく本棚から出した小説を読もうかと思っています。

itsumi
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