荒れ野の40年

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」・・・これは1985年5月8日、西ドイツ連邦議会でのヴァイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」と後に呼ばれるようになった演説の中の言葉です。

 本棚の奥から出てきました。時間があるときに、本棚の整理をしているのですが、ひょっこりと出てきました。薄い冊子なので、いつの間にか他の本に押されて、奥に挟まっていたようです。以前に探した時に見つからず諦めていました。

 「荒れ野の40年」という名前は、1945年5月7日にドイツが連合国に降伏、その40年後の演説で、荒れ野の40年というのは、旧約聖書に記述されている、エジプトから脱出したイスラエルの人々が、紅海を渡って、ヨルダン川を渡って約束の地カナンに至る前まで、シナイ半島の荒れ野を40年彷徨ったことに由来します。

『 ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは十一日の道のりである。 第四十年の第十一の月の一日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた。 』(申命記1章2~3節、新共同訳)

 モーセが率いるイスラエルの人々は、エジプトから脱出して紅海を渡って、シナイ半島を徒歩で11日で渡って、約束の地カナンに至る行程なのを。結局は40年の間、シナイ半島の荒れ野を彷徨し、その40年の間に世代が入れ替わり、そしてモーセは、約束地カナンを見下ろす山の上で生涯を閉じ、その後はモーセの後継者であるヨシュアがイスラエルの人々を率いてヨルダン川を渡って、約束の地カナンに入ることになります。

『 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。

 しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 』(ヴァイツゼッカー大統領「荒れ野の40年」の演説より抜粋)

 アメリカのキング牧師が1963年8月28日の「ワシントン大行進」での演説「私には夢がある」と共に、大切な言葉です。

itsumi
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