高丸陸

 現在は、地名としては残っていませんが、かつては垂水の町の北側に東西に横たわる丘陵地帯を「高丸」と呼んでいたようで、高丸という地名は、福田川の左岸には、東垂水のジェームス山の南側・井植記念館の南側に「垂水町字高丸」という地名、福田川の右岸には「高丸1丁目~8丁目」、その北の第二神明道路高丸インターの南側には「上高丸」という地名があります。そして天神川を挟んで、舞子墓園がある一帯までを、かつては「高丸陸」と呼んでいたそうです。

 高丸8丁目の一角に「高丸くが公園」という、高丸陸に由来する名前がついた公園がありました。丘陵地帯の東端で、この東は千鳥が丘となって、福田川を隔てて、東垂水の高丸の丘陵地が続き、塩屋川を挟んで鉄拐山や鉢伏山へと連なります。

 昭和3年6月2日の神戸新聞で、商大移転候補地として「西垂水高丸陸」という記事です。当時は未だ明石郡垂水町高丸陸だった頃で、旧西垂水村だったので西垂水高丸陸という見出しだったようです。県立神戸高等商業学校として設置され、高丸陸に移転、昭和23年の学制改革により新制県立神戸商科大学となって、平成2年に学園都市に移転しています。商大は既に高丸陸にはありませんが、天神川沿いに垂水駅西口から高丸ICまでは、今も「商大筋」と呼ばれています。

 高丸くが公園から、南東の斜面、傾斜地で空き地だった処が造成され住宅地と分譲されるようで、電柱が何本か立って、所々に新しい家が建っていました。その背景に見えるのが、左端が鉄拐山と鉢伏山、そしてその右の小高い丘がジェームス山で東垂水町高丸の地名が残っており、そして東垂水から福田川下流あたりの街並み、その向こうが大阪湾です。

 福田川を渡って、左岸の東垂水の街へ。福田川左岸は丘陵地となって、坂が多いですが、一部は斜面が急になっており、そこにあるのが「山手ふれいあい階段」です。

 かなりの高低差があり、坂では無理です。でも昭和30年代後半には、この傾斜地に住宅が出来ても、未舗装の坂道だったそうで、階段が出来たのが昭和43年だそうです。

 十代の頃に住んでいた時は、この右側のアパートと左側の崖の間は通り抜けることが出来たのですが、今は行き止まりになっていました。

 この辺りは、昭和30年代になって、神戸の街のベッドタウンとして、田畑が広がっていた処に、無秩序に住宅が建ったような感じで、昔の畦道のような地形に沿った曲がりくねった道が多く、アパートの間の私道のような道も結構多く残っています。新しい基準では、この辺りの家は新築が出来ないかもしれません。

 日曜は、結局、お昼を食べてから2時間近く、高丸陸だった一帯の坂道を歩き廻りました。運動カロリーが548kcal、坂道が多かったので、平均時速が4.3km/h、歩数は1万1千歩でした。師走のはじめの日曜の、昼下がりの散歩でした。
 

itsumi
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