ラジオ・地震

 昨日の元旦の夕方、正月特番のタイマー録画をしようと、テレビをつけて設定をしていると、テレビからアラームが鳴って、画面に地震速報のテロップが出ていました。大きな地震のようで、すぐに番組が中断して、ニューススタジオからの映像で、能登半島を震源とする地震とのこと。最初は震度が5とか6のような速報値がアナウンスされ、しばらくすると、確か津波の危険はないというアナウンスがあったように捉えたのですが、聞き間違えだったのか、それとも最初の段階では津波の危険はないと判断されたのかもしれません。その時は、ちょっと大きな揺れだったのかなあ~と思ってテレビの電源を切ったので、そのままでした。

 その後。6時前にテレビをつけると・・・大変なことになっており、大津波警報が出て、既に津波が到達して、テレビの画面では3m以上という予想で、実際に能登半島では1m以上の津波に襲われ、その後も断続的に津波に襲われ、更に結構大きな余震が何度も襲っているとのこと。また地震自体が1分~2分間も揺れ続いの空白を挟んだ後でした。

 最初、よくわからずに、後になって気が付いたのは、これが2度目です。1度目は今から19年前の新潟県中越地震でした。2004年の10月23日、この日は土曜日で、車で兵庫県の西部から海岸線沿いを写真を撮りながら岡山から広島へ入って、三原から忠海、竹原、そして呉あたりで夕方になってしまって、広島の市街地を通って山陽自動車道を走って帰ろうと、江田島の辺りから、初めて走る広島市内の道を迷いながら、原爆ドームを横目で見て広島の市街地を抜けて、広島ICに向かう頃には薄暗くなって、それまで音楽を聴いていたのを、ラジオに切り替えると、十日町、山古志、小千谷と、学生時代に住んでいた新潟県の地名が、次々に読み上げられて、最初は何のことがわからなかったです。各地の震度をアナウンスしていたようで、夕闇が迫る時間帯に中越が震災に見舞われていたことがわかって、その後、広島から神戸までの山陽道を運転中、4時間か5時間の間、ずっとラジオを聞いていました。

 29年前の阪神淡路大震災の時は、震源地が目の前の明石海峡で、早朝の地震に、真っ暗の中で、大きな横揺れで布団からはみ出した記憶が鮮明に残っています。最初は確か停電で、家の中の様子も暗くてわからず、ラジオをつけると、神戸の街ではビルが倒れたらしいというアナウンスに接し、その後、テレビで、神戸の繁華街が大惨事になっている映像に接しました。

 29年前の当時は、ラジオとイヤホンを寝ている間もつけて、ずっと聞いていました。まだ携帯電話も普及しておらず、もちろんネットで情報を手軽に入手する時代でもなく、ラジオがもっとも速報に接することができた手段だったように思います。

 1983年(昭和58年)の日本海中部地震の時は学生で、新潟・長岡に居ました、確か授業中に地震の揺れがあって、それに気づいた学生と気づかなかった学生がいて、長岡は震度が2か3だったと思います。下宿に戻ってからテレビで津波の映像を見た記憶が残っています。

 13年前の東日本大震災の時は職場に居て、職場のテレビがつけっ放しになって、津波の様子を見ていました。

 結局、昨日の元旦は、夕方以降、テレビをつけっ放しにして地震のニュースを喰い入るようにして見ていました。もっとも地上波の民放テレビ各局は予定通りの番組を打ち切って震災関連のニュースでしたし、BSも、地上波系のチャンネルは、BSテレ東を含めて震災関連のニュースでした。その後はラジオで、就寝後も枕元でラジオをつけっ放し、途中に眠っていた時間もありましたが、深夜の午前1時半までは震災関連のニュースが続き、1時半からは「ラジオ深夜便」が始まりましたが、その後も何度も余震関連のニュースが入っていました。

 最近はタブレットのアプリでラジオを聞いていたのですが、ふと気が付いてポータブルラジオを探すと・・・ありません。気になって起床後、すぐに探すと引き出しの奥で見つかりました。でも電源ONにしても音が出ず、電池切れでした。さっそく、今朝一番で電池を買いに行きました。

 写真の左端は腕時計、数年前からスマートウォッチばかり使っていますが、充電をしないと使えません。この腕時計はソーラー電池ですし、電波時計対応なので、災害時も充電を気にせず、正確な時刻がわかります。

 左から2番目が約40年前に買ったポケッタブルラジオです。最初の勤務先が、事業所から徒歩30分ぐらいで、通勤途中に聴くために、千葉・柏のDAC(第一家電)で5000円ぐらいで買ったものです。昔はMP3プレーヤがなく、カセットテープ式のウォークマンはそれなりに嵩張るので、名刺サイズのこのラジオは神戸に戻ってから遭遇した震災の時には重宝しました。でも、MP3のウォークマンを愛用するようになって、この数年間は、旅行に出掛ける時に、カバンに入れるぐらいで、あまり使っていませんでした。

 真ん中のラジオは数年前に買った中華製ラジオ、長波・中波・短波・それにFMに対応してオールマイティーなのですが、短波放送で海外の情報を得ることも今はなく、インターネットが便利で、この2つのラジオ以外にも、自宅の一階には16センチスピーカーのホームラジオがあり、2階にはソニーの短波ラジオがあって、この中華ラジオは、結局はほとんど使っておらず、電池も入っていなかったです。でも災害時には威力を発揮するので、すぐに使えるように設定をしようと思いました。

 右端は今朝買った電池、 単三と単四のマンガン電池とアルカリ電池です。普段は充電式のニッケル水素電池を使っていますが、災害時は充電が出来ないリスクを考えると、乾電池も必須です。

 ライトです。下がUSBで充電できるタイプで、容量が10,000mAhあり、上のUSBの5Vで点灯するLEDランプと組み合わせれば、夜間の停電でも、かなり長時間の照明となります。

 神戸の震災の直後は、カセットボンベ式のガスコンロを揃えて、カセットボンベも買い溜めして、時々使っていたのが、次第に緊張感がなくなって、今は古くなって使い物にならないです。冬場は石油ストーブがあれば、暖はとれて、湯を沸かすことが出来るので、石油ファンヒータとともに、この旧来の石油ストーブも使い続けています。でも夏場は押入れに仕舞って、灯油も春先に使い切るようにしているので、カセットボンベ式のガスコンロもやっぱり必要かなあ~と思っています。

 今朝は非常用に、電池とともにカップ麺も買おうかと思ったのですが、シリアルとオートミールがあるので、健康を考えるとラーメンより良いし、特にシリアルはそのまま食べることが出来るので、非常用には良いと思ったのですが、真冬だとカップ麺のような温かい食べ物も欲しくなるかなあ~と。

 昨日のニュースでは、能登半島と石川県の災害のニュースばかりでしたが、今朝、じっくりニュースを聞いていると、富山県を挟んで新潟でも結構被害があったようで、何よりも、学生時代を過ごした長岡市が震度6弱で、また新潟市も震度5で、新潟市内では結構液状化現象の被害が甚大のようです。今はYouTubeで検索すると、新潟の被災の映像を新潟の地元の放送局の映像で見ることが出来ました。
 

itsumi
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