死を生に変化させる努力

 漱石日記の中に、娘・ひな子が亡くなったことが、明治11月29日から12月3日にかけて赤裸々に綴られています。夕方に来客と話をしている時に、子供3人が廊下を駆けて来て、笑いながら「ちょっと来てください」と言ったそうで、ひな子がひきつけたのかと6畳間に行くと、奥さんが抱いているひな子の唇が蒼く、そこへ下女が呼びに行っていた医師が来て、注射をしたが様子が変で、眼を開けると瞳孔が開いて「これは駄目です」と。

 翌日の11月30日にみんなで経帷子を縫い、12月1日が友引なので、葬儀は12月2日となり、12月3日は焼き場での骨拾い、その12月3日の日記に

 「昨日は葬式、今日は骨上げ、明後日は納骨 明日はもしするとすれば待夜[逮夜]である。多忙である。しかし凡ての努力をした後で考へると凡ての努力が無益の努力である。死を生に変化させる努力でなければ凡てが無益である。こんな遺恨なことはない。」

 1月4日に亡くなった伯母(亡き父の実姉)の通夜が昨日あり、そして今日は、午前に葬儀、午後から骨上げでした。

itsumi
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