輪島の朝市~能登の想い出

 能登半島を訪れたのは、金沢からの帰路、朝早く金沢の町を出て輪島まで行き、そのままUターンして北陸路を神戸に戻った時で、2015年の夏のことですので、もう19年前になります。

 金沢の町は、犀(さい)川と浅野川に挟まれた町で、浅野川の左岸には「鏡花のみち」があり、「梅の橋」の少し上流には代表作である「義血侠血」の「滝の白糸の碑」があります。そして浅野川大橋の南詰近くの「鏡花通り」には、泉鏡花記念館。

 そして犀川の右岸には「犀星のみち」があり、犀川大橋の南詰の住宅地の中には室井犀星記念館があります。

 金沢というと香林坊、東山の茶屋街、兼六園、近江市場、長町の武家屋敷跡が有名なスポットですが、私にとっての金沢は、浅野川と犀川の2つの流れ、そして、それぞれの川に所縁のある鏡花と犀星が最初に浮かびます。

 千里浜なぎさドライブウェイ、能登半島の西海岸の砂浜の波打ち際を走ることができる この道の写真を朝7時に撮っているので、金沢のホテルを出たのは朝6時頃になると思います。当時の能登有料道路(現在は、のと里山海道)を通って輪島へ。

 8時半過ぎには、旧七尾線輪島駅跡の「道の駅・輪島」に立ち寄っています。

 そして9時前には、河原田川の右岸河口近くの輪島の朝市を散策しています。

 朝市は、飛騨高山と能登輪島の2ヶ所が記憶に残っています。

 業者の店というよりも、近隣の農家の方の直販のような路上販売が印象的です。

 更に奥能登までは足を延ばさず、そのまま北陸路を神戸に戻りました。

 輪島の市街地から、当時の能登有料道路のICまでは、河原田川沿いに山間を縫うような県道1号で数キロ走りました。

 この正月の能登半島地震で、19年前に訪れた輪島の更に奥の能登半島が壊滅的な被害を受け、輪島の朝市は大規模な火災で半日以上燃え続けたようで、朝市の一帯は焼失したようです。そして地震による倒壊、その後の津波の被害も大きく、更に3~4mの隆起も起こり、壊滅的なライフラインの損傷や、孤立した集落もあり、29年前の阪神淡路大震災とは違った様相の被害もあり、この半月ほどのニュースに触れるたびに心が痛みます。

itsumi
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