光と闇・KOBEルミナリエ

 昨晩、KOBEルミナリエを観にいきました。ルミナリエのページを作成しました。

ルミナリエ 2024
https://www.itsumi.net/?page_id=3570

 歌人の俵万智の歌が頭をよぎりました。

 はなび花火 
 そこに光を 
 見る人と 

 闇を見る人いて 
 並びおり

   詩集「かぜのてのひら」より

 俵万智は、花火の輝きの光と共に、その輝きを際立たせる闇を取り上げていますが、私自身も二十数年前のルミナリエで、次のような思いを綴っています。

『ルミナリエの輝きは、ひょっとしたら「闇」なのかもしれません。

 ルミナリエは、「たそがれ時の点灯」が感動的であると云われていますが、私はむしろ、消灯時が好きです。ルミナリエの期間中は、周辺の街灯を消しているので、消灯と共に、付近は闇に包まれます。消灯の瞬間、ため息のような声が辺りに響きます。そして、徐々に、暗闇の中から、深夜の神戸のビジネス街の姿が浮かんできます。

 enlightenment(照明)と云う言葉を連想しました。光が当たると、照らされた面は光の中に明るく浮かび上がりますが、しかし、光の陰となる部分は、コントラストの強さに、ますます闇の中に埋もれてしまいます。光に照らされた、ある一面しか見ることをせず、しかし、自分では全体像を見たと思い込んでしまうことは、結局は、物事のある一面だけで、全体像を判断してしまうことになるんでしょうね。ほんとうの意味でのenlightenmentは、光に照らされた「明るい面」と共に、闇の中に埋もれた「陰の面」をも見つめることでしょうね。

 ルミナリエの輝きが、「明」だけではなく、「闇」でもあるのかどうかは、やっぱり、ルミナリエの輝きの下に立ち、自分自身をルミナリエの光の渦の中に投じなければならないように、私には思います。ルミナリエを見る「自分自身の光と陰」をenlightenmentするためにも・・・・・。 ルミナリエ消灯後の、闇に包まれた神戸の街が、私のもう一つのルミナリエです。テレビや新聞の写真では伝えられていない部分かもしれません。』
(1999年12月16日)

 これを綴った時から二十数年の時が経ち、神戸の街から震災の傷跡がすっかり消え去り、復興という言葉も、地元神戸のために使われるよりも、13年前の東日本大震災、そして今は元旦の夕方に能登を襲った能登半島地震に向けて使われています。

 コロナ禍の4年を隔てて、開催時期も開催規模も大きく変わったルミナリエの輝きは、「復興のシンボル」とは違った意味を持って、その光を放ち、そして闇も、違った意味を持つようになったのかなあ~と感じました。

 上で紹介した二十数年前の思いを綴った前日には、次のように書き残していました。

年々、規模が小さくなっているようにも思います。神戸の復興の光がほんとうに輝き始めたときに、ルミナリエの輝きは、復興の光の中に埋もれてしまうかもしれません。ルミナリエの輝きが不用になる時が来るのか、或いは、ルミナリエの輝きが復興の光の中で、また違った輝きをするのか、私にはわかりません。』(1999年12月15日)



itsumi
blog(つれづれに)