港 神戸

 日曜の演奏会の前、早めに家を出て、元町駅で降りて神戸港周辺を散策しました。以前は良く歩いていましたが、コロナ禍以降、あまり街歩きをしなくなっていました。

 神戸の中華街・南京町にあるのが元祖豚饅頭屋「老祥記」、そして花隈に近い旧走水村の元祖豚饅頭「老祥紀」、「記」と「紀」が違う2つの「ろうしょうき」があります。「並ぶ老祥記」と「並ばない老祥紀」とも言われ、こちらは元町通5丁目の「老祥紀」です。ゆったりと店内で食べることが出来ますが、久しく店内に入ったことがないです。元町通2丁目の「老祥記」は、さらに遡って、かなり前に店頭で買った記憶しかないです。

 走水神社、昔は、この辺り一帯が走水村で、元町商店街の通りが西国街道でした。

 走水神社から海岸に向かって歩くと、ポートタワーの北西の国道沿いに倉庫群が並んでいます。以前は近寄りがたい雰囲気の一帯だったのが、今は再開発され、岸壁沿いだった倉庫群の前が埋め立てられて、中突堤中央ターミナルやホテルが出来、再開発され、倉庫群にもおしゃれな店舗が入っています。

 中突堤の西岸壁は、昔は内航航路の船で、四国、九州、奄美や沖縄からの船の発着で賑やかで、ポートタワーの北側にターミナルがあったのですが、今は閉鎖されていました。中突堤中央ターミナル前の岸壁は、港めぐりの船の発着場となっています。

 中突堤とメリケン波止場の間が埋め立てられてメリケンパークとなり、ここが「BE KOBE」の発祥で、撮影の行列が出来ていることがありますが、この時は少なかったです。

 KOBEルミナリエの有料エリア、コロナ禍前は、この光のアーケードのもっと大きな規模のものが百数十メートル続いていましたが、思ったより小さかったです。

 改修でカバーでずっと覆われていたポートタワー、青い空と白い雲を背景に、冬のやさしい陽光を浴びて赤く輝いていました。

 西のハーバーランドへ、「くねくねエスカレーター」と言われているようで、インスタ映えするスポットになっているようです。

 久し振りに大倉山公園へ、この東側は、諏訪山から流れる宇治川が、震災前まで神戸海洋気象台があった高台を避けて西側に流れを変え、そして、この大倉山に阻まれて海方面へと、ほぼ直角に流れを変えています。また大倉山の西側では、天王谷川と石井川の合流点があり、合流して湊川となって、大倉山と反対方向の西に流れを変えています。そして平清盛が築いた福原京の御所があった辺りが、今は「雪御所(ゆきのごしょ)」という地名になっています。

天王谷川と石井川の合流点の南側は、川が氾濫すると、西に向きを変える湊川から水が溢れて、辺り一帯が水で覆われたようで、荒田という地名で、江戸末期まで荒田村がありました。


 大倉山公園内には、各都道府県の森があり、大倉山山頂あたりには静岡県の森、中央に富士山を模した石が積まれています。

 大倉山公園の北側の広場の片隅に神戸空襲の石碑があります。父は、神戸空襲の時に、この大倉山公園の西に数百メートルの処に住んでいて、父の兄(伯父)は、焼夷弾に当たって傷が残っていたと聞いたこがあります。

 79年前の1945年(昭和20年)2月4日か3月17日の空襲だったようです。
 

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