田原町、俵万智
上野と浅草の間の地下鉄は、1927年に日本で最初に開通した区間で、浅草に行くときは、上野駅から銀座線に乗っていました。上野から浅草までの間には、稲荷町、田原町、そして終点の浅草です。
田原町・・・俵万智の「サラダ記念日」が発売されて、電車のアナウンスで「次は たわらまち」が、俵万智に聞えたことがありました。
俵万智の短歌集「生まれてバンザイ」を借りて、久し振りに俵万智の短歌に触れたくなりました。神戸市の図書館は、各区にある図書館と中央図書館の本が、ネットで予約して、指定した図書館で受け取るシステムがあり、はじめて利用しました。
俵万智のデビュー作「サラダ記念日」1987年と、第2詩集の「かぜのてのひら」1991年、2冊とも文庫化されていますが、単行本を借りました。
ネットで、神戸市立図書館の蔵書をリサーチしていると、「英語対訳版サラダ記念日」があり、また与謝野晶子の「みだれ髪」の現代語版・俵万智訳という「俵万智訳 みだれ髪」があり、この2冊も借り、合計4冊借りました。2週間なので、全部読めるか心配です。
以前手元にあって愛読していた「サラダ記念日」は神戸に越すときに散逸したのか、誰かに貸したまま戻ってこないのか、とにかく久し振りに触れて、ほとんどの歌の記憶がなく、新鮮に読んでいます。
「この味がいいね」 と君が言ったから 七月六日は サラダ記念日
第一歌集のタイトルにもなった歌、寅さんの映画でも、俵万智の出身大学の早稲田大学を舞台にした「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」が第40作で1988年の12月に封切りなので、山田洋二監督は「サラダ記念日」が気に入って、発売後すぐに俵万智と映画化の交渉をしたのかもしれません。歌が好きな早大生として三田寛子が演じて、俵万智の歌を映画の中で披露していました。信州の小諸が映画の冒頭の舞台で、島崎藤村の
小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ
寅さんが遊子を演じていました。
・・・「サラダ記念日」から
オレンジの 空の真下の 九十九里 モノクロームの 君に寄り添う
写真を撮るのが好きなので、この歌の情景がパッと浮かびました。
江ノ島に 遊ぶ一日 それぞれの 未来があれば 写真は撮らず
なんとなく、もの悲しいような、ちょっとホロっとする歌で、何度か訪れた記憶とオーバーラップします。
これからの 二か月のこと 何もかも 思い出として 始まる二月
神戸を離れて、新潟、東京、千葉、埼玉と、いろいろな処に住んでいたので、新年度を目前とした、この2月という時節の古い記憶が蘇ってくるような感じです。
一人住む 部屋のポストを探るとき もう東京の 顔をしている
帰省ということがなくなって久しく、この感覚を、もう感じることがないかもしれません。
高校教師だった俵万智が、学校のことを詠んだ歌は、歌を目にして、情景が目の前に浮かぶようです。
ようやっと 名前覚えし 子どもらの 答案それぞれの 表情を持つ
髪型も ウエストもまた 生徒らの 話題なるらし 教壇の上
シャンプーの 香ほのぼのとたてながら 微分積分 子らは 解きおり
写真で記憶を残すことはしてきましたが、俵万智は記憶を歌に込めていたのかなあ~と。写真が撮りづらい情景も、歌に込めれば、心情や情景がまざまざと心に刻まれるのかと、久し振りに「サラダ記念日」を目にして感じました。
満員の 電車の中に守られて うぶ毛ま近き 君の顔見る
廊下にて 生徒と交わす あいさつが ちょっと照れてる 今日は新学期
これらは、写真でも動画でも、とても残せないなあ~と