Salad Anniversary
俵万智の本を4冊同時に借りたので、短歌づくしの日々を送っています。寒さが緩んで、しばらく自転車に乗っていなかったのが、暖かい陽射しの時には、自転車に乗るようにしています。舞子公園から南東に広がる大阪湾を望むと、お昼前の冬の陽射しが海面を眩く照り輝かせて、光景だけ目にすると、真夏の景色のようですが、寒さが緩んだと言っても真冬で、西からの浜風は冷たいです。
「サラダ記念日」、「かぜのてのひら」、「俵万智訳みだれ髪」、そして最後は「英語対訳版サラダ記念日」です。
俵万智の歌が縦書き、そしてJack Stammの英訳が横書きで書かれ、1ページの上下に2首という配列です。
Because you told me,
“Yes, that tasted pretty good,”
July the Sixth
shall be from this day forward
Salad Anniversary.
「いいね」が”pretty good”、日本語では「7月6日はサラダ記念日」と言い切っていますが、英訳では「7月6日はこの日からサラダ記念日となります」というようなニュアンスになって、これは言語文化のコンテキストの違いなのかなあ~と。
Me in slow motion
wandering in soft spring rain
through a season with a name
soft and gentle as the rain:
na…ta…ne…zu…yo
英訳が一番、気に入った歌です。直訳すると「 ”な た ね づ ゆ” という名前の、雨のように柔らかく優しい季節を、柔らかな春の雨の中でさまようスローモーションの私」というようなニュアンスです。「歩む一人のスローモーション」が ” Me in slow motion wandering ” とスローモーションなので、「歩む」が” wandering”(さまよう)と表現しているのが、これも言語文化の違いなのかなあ~と。
Because the lady
who runs this little street-stand
keeps calling me, Missus,
I will make like a missus
for only these few moments.
これは、そのままストレート、この英訳に触れて、”lady” というのは、淑女のイメージがあったのですが、このようなコンテキストでは「おばちゃん」というニュアンスが窺えるようで、また、おばちゃんが呼ぶ「オクサン」が英語では”missus”が相応しい言葉になることを知りました。これも知らなかったです。
December, when
the loneliness of living
a life where one
plus one add up to two
comes showering down on me.
これは、ちょっと物足りなかった英訳です。直訳すると「1たす1が2になる人生の寂しさが押し寄せる12月」、「我に降る」が、”showering down on me”で、なんとなくシャワーを浴びているような、雨のように降り注ぐというように感じ取ったのですが、これは私の英語力のなさが起因する、英語の表現の情景を読み取れないだけなのかもしれませんし、カタカナのシャワーのイメージに囚われているのかもしれません。淋しさが降るのは、どうも春雨に濡れるような慕情を感じるのですが、俵万智は、淋しさを全身にシャワーを浴びるようにダイナミックに感じた・・・のかな?とも。