白萩の君、堺の町の商人の
俵万智の「みだれ髪」の現代語訳を読んでから、与謝野晶子の歌に触れています。山川登美子の歌は結構好きなのですが、考えれば「みだれ髪」をちゃんと読んだことがないように思います。与謝野晶子は「君死にたもふことなかれ」と歌集「みだれ髪」、そして源氏物語の全訳が有名ですが、「みだれ髪」以外の歌集は、山川登美子と増田雅子との共著の歌集「恋衣」ぐらいで、多くの歌を遺しながら、まとまった歌集はあまりないようです。
今はなくなっていますが、堺市立文化館の中に「与謝野晶子文芸館」がありました。2015年に堺市立文化館が閉館となったので、閉館間際に訪れています。閉館間際で「与謝野晶子と画家たち」という特別展をしていました。
左が、歌集「みだれ髪」の表紙を飾った絵です。
堺市立文化館は2015年に閉館して、今は「さかい利晶の杜」が同年の秋にオープンして、その中に与謝野晶子記念館があるそうですが、未だ行っていません。千利休と与謝野晶子から1字ずつとって利晶の杜のようで、千利休茶の湯館もあるようです。
与謝野晶子は、堺の大通筋の駿河屋に生まれ、阪堺電車が走る大通りの拡張で、歩道脇に「与謝野晶子生家の跡」の記念碑だけがありました。
千利休の屋敷跡もすぐ近くで、昔の堺の町の中心部だったようです。
・ 手元には、与謝野晶子の歌集はありませんが、集めた資料はいくつかあって、久し振りに読み返しています。
鎌倉や み仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな (恋衣)
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき (みだれ髪)
鎌倉と京都をそれぞれ詠んだ歌。今も寺院仏閣が多い2つの町は、一世紀を隔てた今も、この歌と同じ佇まいなのが不思議な気もします。
与謝野晶子の「みだれ髪」を俵万智が現代語訳した本を借りましたが、与謝野晶子は、紫式部の「源氏物語」を現代語訳しています。高専の3年の時の国語の担当教員が源氏物語の研究者だったので、源氏物語ばかり扱っていたので、桐壺の冒頭は、元の文章に慣れ親しんでいます。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。(式部)
どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の 貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。(晶子)
何度も読み返した桐壺の冒頭は、元の紫式部の文章の方がしっくりきます。文語体のほうが引き締まった感じで、全体の文章のリズム感というか語呂が良いように感じます。今でも大きなニュースで文語調の見出し・タイトルを見掛けますし、短歌でも文語調の方がしっくりくることがあります
・・・行く方も躑躅なり。来し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる。あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬を掠めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺隔てたる処に礫のありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるふさまも見えたり。・・・(鏡花)
泉鏡花の作品で、あまり有名ではないですが、お気に入りの「竜潭譚・躑躅か丘」の一節で、美文です。どうも慣れ親しんだ文語調の文章は、そのまま味わった方が良いようにも思いますが、それは昭和生まれ・20世紀生まれの感覚で、平成生まれ・21世紀生まれとの感覚・感性の違いがあるかもしれません。