正信念仏偈

 昨日は、1月に亡くなった伯母の四十九日の法要がありました。宗旨はお西さんで、法要の最後は、日常勤行聖典から、正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)。親鸞が著したもので、真宗の要義大綱を偈文にまとめたものです。ですから正信念仏偈は、いわゆるお経ではありませんが、蓮如によって僧・俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう言われているものです。

 総讃、依経段、依釈段の3部構成で、依経段は浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩行であることが書かれおり、依釈段ではインド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆した内容です。

 依経段は弥陀章と釈迦章、それに結誡から成っています。

・最初の総讃は、
帰命無量寿如来 南無不可思議光

・書き下し文は、
「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」

・現代語訳は、
「限りない命の如来に帰命し、思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる。」

・続く依経段の弥陀章は、
在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因

国土人天之善悪 建立無上殊勝願

超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受

重誓名声聞十方 普放無量無辺光

無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光

不断難思無称光 超日月光照塵刹

一切群生蒙光照 本願名号正定業

至心信楽願為因 成等覚証大涅槃

必至滅度願成就


・書き下し文は、
「法蔵菩薩の因位時、世自在王仏の所にましまして諸仏の浄土の因国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し希有の大弘誓を超発せり。

 五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんとあまねく無量・無辺光、無礙・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、超日月光を放ちて塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは必至滅度の願(第十一願)成就なり。」

・そして現代語訳は、
「法蔵菩薩の因位のときに、世自在王仏のみもとで仏がたの浄土の成り立ちやその国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって、この上なくすぐれた願をおたてになり、世にもまれな大いなる誓いをおこされた。

五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞えさせようと重ねて誓われたのである。本願を成就された仏は、無量光・無辺光・無礙光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし、すべての衆生はその光明に照らされる本願成就の名号は衆生が間違いなく往生するための行であり、至心信楽の願[(第十八願)]に誓われている信を往生の正因とする。

 正定聚の位につき、浄土に往生してさとりを開くことができるのは、必至滅度の願[(第十一願)]が成就されたことによる。」

 日常勤行聖典には、文字の右側には、棒線が引いてあり、音の高さやとなえ方が記されている「草譜」というそうです。文字の右側に「引」という表記がない部分は、基本的には漢字一字に対して1拍、そして、「引」という表記があるところは、2拍で唱えるそうです。読誦における独特の旋律にのせた「声明」は、これらの表記に基づいていることを初めて知りました。

 親鸞は4歳で父、8歳で母を亡くし、「次に死ぬのは自分の番だ、死んだらどうなるのだろう」と自分の死を考えるようになったそうで、この死んだらどうなるかの一大事を「後生の一大事」というようです。この「後生の一大事」を解決したいと、親鸞は9歳のときに出家、比叡山で天台宗の修行に20年間打ち込んだそうですが、後生暗い心の晴れなかったようで、親鸞は、迫り来る無常に居ても立ってもおれず、29歳のときに山を下りて、法然から阿弥陀如来の本願を聞くようになり、後生明るい心に救い摂られたとのこと。

 死によっても崩れない絶対の幸福になった喜びを、親鸞は、この正信念仏偈に「親鸞は阿弥陀如来に救われたぞ、親鸞は阿弥陀如来に助けられたぞ」と、叫んでも叫んでも叫び尽くすことのできない喜びの身になったことを著した経緯があるのですが、読誦を耳しても、親鸞の「どうしてこんな幸せな身になれたのか」という思いは、わかりませんでした。13世紀の鎌倉時代に書き記された漢文調のものを、書き下し文ではなくて、そのまま音読する読誦を耳にしても、数百年経つと解説がないとわからなくて、お経との区別もつかなかったです。

 その後、和食レストランの木曽路での食事、廊下の両側に椅子席があるタイプで、廊下の天井にエアコンが取り付けられているのですが、送風口に「衝立」が取り付けられて、温風や冷風が直接、食事中の客にあたらないような配慮がなされていました。昨年食事で来た時には、なかったように思います。

itsumi
blog(つれづれに)