星野富弘
今朝、詩画作家・星野富弘の訃報に接しました。星野富弘は大学を卒業して4月に赴任した中学校で、2ヶ月が経った頃のクラブ活動でのマットでの実演中で大きなケガをしてしまいます。
体育の先生になって、二か月がたちました。
一九七〇年六月十七日。その日は、梅雨にはめずらしく青空がでて、さわやかな初夏の風がふいていました。
放課後、体育館にいくと、ひさしぶりによくなった天気のせいでしょうか、いつもより、からだが、かるくなっているような気もちでした。そんな日は、しぜんおなじ宙がえりでも、からだが自然にうきあがるのです。
助走をつけて、両腕を上にふりあげながらジャンプすると、からだが、その腕についていくように、空中にうきあがります。
調子がよいときは、空中にういている一秒か二秒のあいだが、とても長く感じられます。
生徒たちにつづいて、何度めの宙がえりをしたときでしょうか。どうしたことか、マットに頭からおちてしまったのです。でも、いままで何十回とやってきた失敗のひとつだと、べつに気にもせず、ひっくりかえっていました。
しかし、ひっかえったまま、どうしても、おきあがることができないのです。そういえば、おちた瞬間、耳の奥のほうで大きな音がしたような気がしました。
「腕があるんだろうか」より、かぎりなくやさしい花々、星野富弘
頸椎損傷で手足の自由を失ってしまいますが、2年後には僅かに動く口に筆をくわえて文字を書き始め、4年後には手紙のすみに花の絵を描き始めたそうです。
首の動きで運転する電動車椅子に乗れるようになって、9年後には退院、そして11年後にははじめての詩画集を出版し、翌年には「花の詩画展」を開催しています。私がはじめて星野富弘の詩画に触れたのは、その数年後、今から35年ぐらい前になると思います。手元には星野富弘の本が4冊ありました。
見ているだけで
何も掛けず
一日が終わった
こんな日と
大きなことを やりとげた日と
同じ価値を 見出せる
心になりたい
キダチベゴニア、《花の詩画集》鈴の鳴る道、星野富弘
星野富弘の詩画の中で、もっとも心に響く作品です。