ヴィーナスブリッジ ~ 元町散策 5
6月5日の元町散策の4回目で、金星台とヴィーナスブリッジです。
メリケンパークから、ポートタワーを経て、タワーロードを北に歩いて栄町通り、元町商店街(旧西国街道)、高架下商店街、花隈城を経て、少し西に入って神戸教会、そして旧小泉八雲旧居跡を経て、さらに北に進むと相楽園、そして諏訪公園(最初の神戸の動物園があった公園)があり、そこから山道(諏訪神社の参道)を上ると金星台となります。
諏訪神社の参道の参道はかなり急な坂道ですが、そこから一歩足を踏み入れると鬱蒼とした杜の中の階段が続きます。
神戸の旧市街地は、大阪湾と六甲山脈に南北を挟まれた狭い平地で、坂道が多いですが、坂道を上って六甲山脈の山々の山麓に位置する高台からは、市街地を一望でき、見晴らしが良いですが、その一つが金星台です。1874年の金星の太陽面通過の時に、金星を観測するのに好適地だったということで、長崎にはフランスとアメリカの観測隊が、横浜にはメキシコの観測隊が観測し、神戸の諏訪山の高台にはフランスのヤンセン隊長率いる観測隊がやってきて、その日の神戸は晴れて、観測することが出来たようです。
その観測に、、東京でマッチ工場を操業し、マッチを日本の主力輸出産業とした立役者の清水誠も、この観測隊に同行して、12月9日の太陽面通過を撮影していたそうです。清水誠はフランスのエコール・サントラル・パリに留学中だったので、東京で合流ではなくて、パリで観測隊に加わって留学先から一時帰国したのかもしれません。清水誠はフランス外遊でパリを訪れていた政府の役人・吉井友実からマッチ製造の研究を勧められたのも1874年で、翌年の1875年には東京で東京でマッチ工場の操業を始めているので、もしかしたらパリで観測隊に加わって留学先から、そのまま日本に帰国したのかもしれません。
金星台から、さらに山道を登ると、だんだん坂が急になって、この後の急な坂の部分は、登るが精いっぱいで、汗だくになって写真を撮っていません。
そして視界が開けてヴィーナスブリッジが見えました。
ヴィーナスブリッジは金星台から山道を経て、諏訪山展望台へ至るまでの経路で、途中に再度山ドライブウェイ(市街地の山本通から再度公園・外国人墓地に至る道路)を跨ぐようにして架けられた8の字型螺旋橋のことで、名称のヴィーナスは、金星観測をした金星台の金星・ヴィーナスが由来だそうです。
経緯は調べてもわかりませんでしたが、半世紀ほど前の1971年に完成とのことで、それまでの登山者は、この再度山ドライブウェイを横断して、写真左の崖のような箇所に山道があったのかもしれません。休日は交通量があり危ないので、観光名所を作ることも含めてヴィーナスブリッジをつくったのかもしれません。
ちょうど神戸港を真ん中に神戸の市街地を見渡すことが出来るので、このヴィーナスブリッジの眺望も素晴らしいです。
ヴィーナスブリッジを経て諏訪山展望台です。車では諏訪山展望台に来たことがありますが、諏訪山公園や金星台から歩いて諏訪山展望台に来るのは初めてです。ちょっとした登山でした。
諏訪山展望台には、愛の鍵モニュメントがあります。ヴィーナスが古代ギリシャの愛の女神にちなんで、ヴィーナスブリッジの手すりやフェンスの部分に南京錠を取り付けることがいつしか始まって、景観が悪いのと、南京錠がかなり増えて荷重もそれなりに大きく、手すりやフェンスが撓んだようなこともあったようで、ヴィーナスブリッジの南京錠は撤去され、代わりに諏訪山展望台に南京錠江尾取り付ける愛の鍵モニュメントを20年前の2004年に設置した経緯があります。