旧波門崎燈籠堂
今朝は、昨日からの雨が降り続き、未明には時折激しく降っていましたが、移動性の低気圧に伴う雨で10時ごろには降りやみ、夕方には青空が広がり、明日の天気予報は降水確率0%の快晴で梅雨入りの雨ではなかったです。停滞前線は今週末に神戸まで北上して梅雨入りのようです。例年より半月ぐらい遅い梅雨入りとなりそうです。
明石から高速連絡船で淡路・岩屋へ向かう時に、明石港を出る手前の右手(西側)の岸壁に、旧明石港灯台があり、時折自転車で立ち寄ります。2年ほど前に古い石塔の復元工事が始まって、昨年秋に復元されていました。
元々は江戸幕府以前の秀吉の時代には、高山右近が明石川右岸(西側)の林村に船上城を築き、キリシタン大名だったので、現在の林崎漁港には堺に行き来する貿易船の中継港として外国船が出入りした国際港だったのが、元和3年(1617年)に、それまで姫路城主が播磨国一国を治めていたのが、明石藩が分割されて初代の明石城主(明石藩主)となった小笠原忠真が船上城を廃して現在の位置に明石城を築いたのに伴い、明石城に近い砂浜に明石港をつくったようです。
最初は石造りの灯篭ではなくて、単に灯篭があっただけのようですが、慶安2年(1649年)に明石城主(明石藩主)となった松平忠国が、明暦3年(1657年)に石造の石造の灯台である旧波門崎燈籠堂(はとさきとうろうどう)をつくったようです。
旧灯台で石造では現存する投打としては最古だそうです。昭和28年(1953年)につくられたコンクリート製の灯篭部が近くに展示されています。それまでの木製の灯篭部では油障子が貼られ内部に火を灯していたのに対して、電気器具を取り付けて緑色の発光だったそうです。昭和38年に明石港の拡張に伴って新しい灯台が出来たので、灯台としての役目は終わりましたが、明石港の歴史のシンボルとして残されています。
下部は修復されて、灯篭部が木造になっています。
堤防の上に新しい灯台、今は淡路島への高速艇と漁船、釣り船が行き来しますが、明石海峡大橋が出来るまではフェリーが行き来し、国道28号線の海上ルートとなっていました。