街景色~元町
普段は、神戸の市街地から鉢伏山という国境の山(五畿内の摂津と西国の播磨)を挟んで西側の垂水に住んで、最近は明石へ出歩くことが多く、あまり五畿内にある神戸の繁華街に足が向きません。
神戸の街景色の中でお気に入りの光景が、JR元町駅の東口です。階段の上は背の低い通路上ですが、その同じ天井の高さで、階段下の改札口付近から、その向こう側まで続いて階段の幅も広いので、吹き抜けの大階段という感じです。
大丸神戸店と元町商店街との間のスクランブル交差点、休日のお昼過ぎは人が群がるように信号待ちして、青信号になるとアチコチから人が行き交う光景を見ることが出来ます。
大丸神戸店の吹き抜け、垂水のスーパーやホームセンターでは見ることが出来ない華やかな光景、埼玉に住んでいた頃は、銀座の松屋や三越の荘厳な雰囲気が好きで、よく立ち寄っていましたが、最近はデパートとは縁遠いです。
元町商店街と栄町通りの間にある神戸の中華街・南京町は、最近はいつも賑わっているように感じます。神戸や関西圏の人だけではなく、修学旅行のグループ行動、それに漏れ聞こえる会話からインバウンドの海外からの旅行者も多いようです。
南京町は、大丸神戸店と元町商店街の間、スクランブル交差点の南北の通り「鯉川筋」(旧・鯉川の川筋)の東が欧米の恐竜地になったのに対して、鯉川筋の西側は雑居地となって、主に中国からの華僑の方々が、この南京町周辺を拠点にしたので、中華街が形成されたようです。
元町の繁華街から北側、JRの高架を超えて、山手幹線沿いに兵庫県庁があり、戦前には、ここに県立第一神戸高等女学校(神戸第一高女)があり、1924年(大正13年)に神戸第一高女の講堂で、孫文が大アジア主義講演をしており、その銘板が県庁の片隅にありました。
神戸第一高女は太平洋戦争後に、県立神戸第一神戸中学校(旧制)と合併して新制の県立高校高等学校となっています。なお孫文が大アジア主義講演をした頃の神戸一中は、新生田川川の二宮橋にあり、1938年(昭和13年)に現神戸高校敷地に移転しています。なお神戸第一高女は神戸大空襲で被災した県庁に校舎を提供して、県立第二神戸高等女学校(現・夢野台高校)に移転し、戦後は北長狭小学校(現・神戸生田中学)に移転、そして神戸一中の校舎に移転し、そして神戸一中と合併して神戸高校と、数年間は点々とした経緯を経ています。