霧の海峡

 梅雨の神戸、今朝は雨が降らいないようなので、5時過ぎに朝の散策に出掛けました。

 私鉄沿線・・・舗装されていない山陽電車の線路沿いの道を歩くたびに、長閑さを感じます。私鉄沿線という言葉のイメージは、昔の井の頭線の沿線のイメージがあります。構内踏切があったり、駅前に個人商店が並んでいる光景です。昭和の面影が残る街並みは、今の井の頭線沿線からは消えつつあるようですが、この山陽電車の線路沿いの光景は、おそらく半世紀前から同じだと思います。

 街中では高架や地下が増えて、踏切で電車を待つというシチュエーションが減っていますが、自宅から海岸線沿いへ散策やサイクリングで向かう時には、踏切を渡ることになります。

 この梅雨から初夏の時節で湿度が高い早朝には、明石海峡は濃霧に包まれて、霧笛の音が時折鳴り響きます。明石海峡を見下ろすこの付近の台地には、朝霧や霞ヶ丘という、この海峡が霞みや霧で包まれることにちなんでつけられたと思われる地名があります。

 明石海峡大橋の、本州側の主塔は、道路面の上が霧で包まれ、淡路島側の主塔は確認できませんでした橋が霧の中に消えるような感じです。目の前に横たわる淡路の島影も、朧げに稜線が見える程度です。

 BE KOBEのモニュメントの前の芝生にキノコのようなものが生えていました。ネットで調べるとオオシロカラカサタケの幼菌のようです。

 早朝から岸壁で釣りを楽しむ人が多かったです。

 釣り船と思われる船が岸壁近くを横切って大阪湾に向かっていました。

 ポリカブと言われる、警官が街中の見廻りで乗っている白い原付が、公園内に1台停まって、その後に、またポリカブに乗った警官が来たので、何かあったのかなあ~と思っていると、今度は消防車のサイレン、それに救急車のサイレンが鳴り響き、近くでサイレンが止まりました。舞子公園内で火事かな?と思っていると、明石海峡大橋の下で救急車が停まって担架が運び出されました。今、散策した岸壁で誰かが海に落ちて、レスキューも来たのか?ちょっとわかりませんでした。

 西岸壁の処に戻ると、パトカーを見掛けていないのでおそらくポリカブでさっき来た警官が海の沖を指し、レスキューの一人が沖に向かって泳ぎ、続いてもう一人も泳いでいきました。岸壁では救命胴衣をつけたレスキューの人たちが沖を見ています。

 舞子公園に散策に来ていた人も、レスキューの人が泳いでいった沖の方を見ていました。

 明石港の方から、海上保安庁の船がやってきました。沖のレスキューの人が留まって、何かを見つけたようです。岸壁のレスキューの人と何か言葉を交わした後に、沖から岸壁に向かって泳いで来ました。その後、警官が下がるように言ったので、その場を後にしました。

 救急車は1台で、消防の車が5,6台か、もっと停まっていました。

 今朝は6km歩いて、運動消費カロリーは407kalでした。陽射しがなかったですが、湿度が高く、かなり汗ばんだので、帰宅後すぐにシャワーを浴びて朝食を摂りました。

※ 神戸新聞next(Web版)で、記事がupされていました。

2024年7月3日11:22、神戸新聞next
https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202407/0017839775.shtml

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