架け橋を巡って
暑さが増す中で、夏至を過ぎて日の出の時刻が日毎に遅くなって、今はちょうど5時頃が神戸の日の出の時刻です。夏は湿気が多く、海峡周辺では朝霧に包まれて、明石海峡大橋の淡路島側の主塔は、少し霞んでいます。淡路島の上空も靄っとしています。移情閣が、シルエットのようにそびえています。
明石海峡大橋を巡って、舞子周辺で変化などがあったことを徒然に・・・
移情閣として知られる孫中山記念館は、元々は華僑の貿易商・呉錦堂の舞子の別荘内に1915年に建てられた八角形の中国式楼閣で、子どもの頃には六角に見えるので六角堂と呼んで、現在地より東側の海岸沿いにありました。現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物だそうで、神戸潜伏中の孫中山(孫文)をかくまった川崎重工の松方幸次郎との縁で、辛亥革命の父と仰がれる孫中山を顕彰する日本で唯一の博物館となっています。明石海峡大橋建設の余波で、舞子公園の整備の一環で、現在地に移設されています。
明石海峡大橋の本州側のアンカー近くにある彫刻家 牛尾 啓三の作品「夢レンズ」です。明石海峡大橋架橋5周年の記念の碑になるようです。
休日には、この夢レンズ越しに架け橋の記念写真を撮っている姿をよく見掛けます。
山陽電鉄の舞子公園駅、明石海峡大橋が出来るまでは、普通のみが停車していましたが、今は特急の停車駅で、車用の踏切もありますが、元々は上るホーム側に改札があって構内地下道で下りホームに行く構造だったのが、明石海峡大橋の再開発で、橋上駅舎化しています。駅前に喫茶店や酒屋があって、北側にウシオ電機創業者の牛尾治朗の大きな家があったのですが、今は駅前は広場のようになっています。
海峡を渡った明石海峡は、海岸付近では、かなり高い高架ですが、北側に進みと高台の中に吸い込まれるように、苔谷公園の中で、舞子台の中にトンネルとなって地中にもぐりますが、その一派手前の高架の部分です。この辺りは、昔は家があったように思いますが、今は一帯が苔谷公園となっています。昔は、この近くにあった母校の高専の通学で、この辺りが通学路でした。この少し北側に「送信所」があり、高いタワーが建っていました。おそらく船舶無線の送信所だったと思いますが、ネットで調べても検索でヒットしませんでした。今は高齢者の施設になっています。
昨日の小野・ひまわりの丘公園で撮った写真や動画をまとめてYouTubeにupしました。2分20秒の動画です。
[YouTube]ひまわりの丘公園 兵庫 小野July2024
https://www.youtube.com/watch?v=RNsQ865Er8g