彼は誰時

 薄暮、黄昏、夕焼け等々、夕暮れ時を表わす語彙は多く疲れれますが、日の出前の薄暗い頃を言い表す言葉としては、黎明(れいめい)や暁(あかつき)、 東雲(しののめ)や彼は誰時(かわたれどき)という言葉があります。「黄昏」(誰そ彼)の反対で「彼は誰時」のようです。日の出50分ぐらい前の東の空は、群青色の濃い青でした。

 数分後には、空の端が赤く染まって、濃い青だった東の空が紫がかってきました。

 場所によっては街灯が消える時間帯ですが、この辺りは、まだ街灯の灯りがないと暗い感じです。

 旭ヶ丘の丘を上って、東斜面沿いの道を下ると、向こうに見える高丸の立ちの灯りが煌々と輝いているように見えました。

 切通しの道から、高丸の丘の上へ一気に上る階段、結構きついです。

 昔は、福田川の右岸から、山田川の左岸あたりまで、高丸陸(くが)と呼ばれた丘陵が連なっていたようで、個の公園の名前に、当時の「高丸陸」という地名が残っています。

 高丸団地の北側を抜けて千代ヶ丘の辺り、はじめて散策するように思います。歩いていると、舞子丘陵へ至る長い階段が住宅地の中に突如現れました。

 階段を上って振り返ると、すごい光景だったので、レンズを向けました。

 暗渠となっている天神川沿いの道路を「商大筋」と呼んでいますが、戦前の県立神戸高等商業、戦後は神戸商科大学があった場所です。今は学園都市に移転して、県立大学となっていますが、跡地の公園の一角に記念碑が立っています。

 愛徳坂という、有名な急な坂があるのですが、その坂の頂に愛徳学園があり、その母体となっているのが愛徳カルメル修道会で、その本部が小高い丘の頂にあり、近隣では時々シスターの姿を見掛けます。

 この辺りの南斜面は急な坂で、明石海峡越しに淡路の島影が見えます。この辺りの住宅地に朝日は射し込んでいませんが、淡路は朝日で輝いていました。

 此処も急な階段、手すりがないので、慎重に下ります。

 住宅地の中の、比較的細い道ですが、ずっと続いて、その先は明石海峡の海、丘陵をだいぶ下ってきたので、この辺りの坂は、かなり緩やかになっています。駅に向かう姿が、遥か彼方まで数えると5人確認できます。

 アパートの軒先に並んでいた植木鉢に、思わずレンズを向けました。

 今朝は1時間17分で5.6km、坂や階段の上り下りの時は、時速3km/h以下になるので、今朝の散歩の平均時速は4km/h以下でした。運動消費カロリーが403kcalで、平均脈拍数が119bpm、最大脈拍数が157bpmでした。

itsumi
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