小さい者・弱い者
夜中に、ふと目が醒めて、なかなか寝付けない時に、ラジオのスイッチを入れて、NHKの「ラジオ深夜便」という番組を聞くともなく耳を傾けることがあるのですが、その中で、作詞家・藤田まさとさんが「岸壁の母」の唄をつくった時のエピソードを紹介していました。
舞鶴の港で、復員船での息子の帰りを待ち続けていた母親のインタビューをラジオで聞いた藤田まさとさんが、それを聞いて涙が止まらず、20分で「岸壁の母」を作詞したとのことです。
戦争という大きな渦に中で、翻弄された者、弱い者、小さい者ののひとつの姿ではないかなあと思いました。
兵士として大陸に渡った息子は、戦争責任のある加害者のなのか、それとも戦争に駆り出された被害者なのか、私にはわかりません。ただ、待っても待っても帰らない息子を「生きて帰って欲しい。」と待ち続ける母親の思いをラジオを通して聞いて、涙を流し続けた者がおり、涙を流した者の思いが唄の詞となって、また、多くの者の共感をよんだ背景に、時代の名の下に翻弄された弱い者、小さい者のたくさんの姿を思い浮かべます。
そして、日本が侵略したアジアの多くの地域で、「日本・日本人」の犠牲となった、弱い者、小さい者の多くの姿を思い浮かべます。彼らの目には、決して私たちのことを弱い者、小さい者とは映らなかったでしょう。
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「間接的に結果として影響される第三の弱者」に併せて、直接的な当事者も弱者でありえるという場合もあるかもしれません。そんな視点も無視は出来ないと思います。
結局、犠牲となるのは、大きな渦の中で翻弄される小さい者・弱い者なのかもしれません。
Aug30,1999