聖餐・現在進行形

 カルヴィンのみならず、カトリック・プロテスタントを問わずに保守的な信仰において、まさに聖餐において、キリストの血と体という実体にあずかることこそが、『地に足をつけた信仰』だと考え、そしてそのことを固守しておる者です。

 十字架は大事だと思います。でも過去の出来事です。審判も大事だと思います。でも未来の出来事です。いま・現在において、書かれたみことばとしての聖書と、見えるみことばとしての聖礼典があ
ります。聖礼典の中で、洗礼と異なり、信仰者が教会生活の中であずかり続ける聖餐は、十字架と復活をつなぎ続ける進行形のものとして(聖霊にあって)もっと目を留めなければならないと思います。ほんとうはペルソナを持った聖霊なる神をも付け加えなければならないんでしょうが、聖霊なる神のことはよくわかりません。

 カルヴィンに近づく必要なんかないのでは・・・、聖餐の捉え方は異なりますが、ルッターも聖餐においてキリストの血と体の実体にあずかることを言っていますし、もちろん保守的なカトリックの立場でもそうです。バルトの聖餐論をよく知りませんが、でも、バルトの神学を通して学ぶことは多いと思います。最終的にバルトから離れるかどうかは別として、真剣にバルトから学びたいと思っています。もちろん日本の神学者の方々を通して神を仰ぎ見たいと思います。
  August 24,1995

itsumi
聖餐