聖徒の交わり・教会
使徒信条で「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」と信仰告白するときに、「教会」と「聖徒の交わり」のイメージが重なりません。私の中に、今でも「信仰をもちながら制度的教会に対して何か抵抗を感じて」いる部分があるからだと思います。
「そこに存在する教会」が私にとって「聖徒の交わり」でない部分がもちろんあるわけですが、その部分が残念ながら「秩序」という言葉でカバーしきれないのです。
「秩序」に甘えながら、同時に「秩序」に甘えきれない部分、つぶやきつつ、つぶやきで終わる部分・・、と考えると私にとって「秩序」は必要不可欠なのかもしれません。
最近感じるのですが、他人の生き様(いきざま)から何かを学びたいという思いが強くなりました。
Nov30,1996