明石の漁港
明石の街には、西から西二見漁港、東二見漁港、魚住漁港、江井ヶ島漁港、藤江漁港、林崎漁港、明石浦漁港と海岸線沿いに点在しています。その中で魚住漁港と藤江漁港は規模が小さく、更に旧明石郡山田村の舞子漁港も規模が小さな漁港です。
今日は自転車で走りながら漁港の写真を撮りました。江井ヶ島海岸でUターンして西から戻りながら撮ったので、西二見漁港、東二見漁港、魚住漁港、江井ヶ島漁港は入っていません。ちなみに西二見漁港と東二見漁港は、元々は加古郡に所属していた東二見村と西二見村の漁港でした。
最初は藤江漁港です。藤江川河口の左岸にある小さな漁港で、明石郡藤江村の漁港です。
その次が林崎漁港です。明石川右岸の河口に位置します。明石市の漁港では、明石浦漁港、東二見漁港と並んで、比較的大きな漁港です。明石郡林村の漁港だったのですが、キリシタン大名の高山右近が明石郡一帯を所領としていた時には、明石郡船上村の船上城を居城として、堺の町へ向かう黒船が、林村の港に立ち寄ったそうで、その当時は栄えた港だったようです。
また林村からは「マルハ(丸に林村の『は』)」のブランドの大洋漁業(現・マルハニチロ)の発祥の地です。
明石浦漁港です。江戸時代に入ってから、それまでも明石川右岸の船上村の船上城から明石川左岸の今の位置に城が移り、町割りされて、明石の街の港となったのが明石漁港です。明石漁港の東側には、淡路・岩屋とを結ぶ高速艇の船乗り場、そして以前は、更に東の中崎にフェリー乗り場がありました。
明石市ではないですが、旧明石郡山田村の港だったのが舞子漁港です。山田川河口の左岸に位置します。今は小規模な漁港ですが、明治22年の町村制の施行の時に、東垂水村・西垂水村・多聞村・塩屋村・下畑村・名谷村と共に新村の垂水村となった時に、舞子漁港の近くにあった山田小学校に最初の垂水村役場が設置され、舞子漁港の近くには水産加工の工場もあったようで、当時は垂水漁港よりも栄えていたようです。平清盛の別荘もあり、さかのぼれば烏崎城(現・舞子ホテル)もあった地です。
江井ヶ島海岸、以前は海水浴場で、夏になると海の家も建っていました。
砂浜でfoot printを・・・
今日は午後から3時間で、35.53km自転車で走行しました。運動消費カロリーが872kcalで、無酸素運動が27分で、有酸素運動が138分でした。