サクラメント
昨日の主の日、教会で聖餐式(the Eucharist)が持たれました。
聖書の朗読、賛美歌、使徒信条による信仰告白、祈り、牧師によるみことばの解き明かしに続いて聖餐の礼典となりました。パンとぶどう酒と共に牧師による聖餐の制定のみことばが、<教会>に在り、聖餐式が執り行われたのですが、<私にとって>「恵まれない」聖餐式でした。
パンとぶどう酒という見える品々を通して「神の癒し」を見える形で受け取れる場で、<この私は>神による癒しを感じ得なかったのです。
夕食後妻にマッサージをしてもらいました。土曜までパソコン上の事務作業が延々と続き、昨日の主の日の午後も教会の図書整理のためパソコンの入力作業をしていたので、「背中が板のよう」になっていたそうです。30分ほど揉んでもらうとかなり楽になりました。
昨夜神戸は大雨でした。激しい雨音に隣近所を気にすることなく大江光のピアノのCDをフルボリューム(といっても数Wの三極管アンプ)で聴きながら、熱いコーヒにたっぷりミルクを入れて味わいました。雨音も心を静めてくれました。マッサージで体がほぐされ、そして心もほぐされました。
「神の癒し」を感じ得ず、心の安らぎに満足する甘~い信仰の状態にあることを感じます。
求道って何なんでしょう?そして修道って何なんでしょう?
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。
旧約聖書 詩編37:5 新改訳
私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5章5節より 新改訳
「求道」「修道」という言葉に私は厳粛さを感じます。でも、キリスト者として、肩肘張って、そして頑張って道を探り求めることも大切でしょうが、自分で得た「私の大道」ではなく、与えられた「主の小道」を歩みたい!、と心から思います。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私たちはその小道を歩もう。」
旧約聖書 ミカ書4:2より 新改訳
July8,1996