帝国酸素
日本で最初に液化酸素工場をつくったのが帝国酸素という会社で、父親が務めていた会社です。元々はネオンサイン(ネオン管)を発明したフランスの科学者であるジョルジュ・クロードが空気を液化して成分分離をし、これを事業化したのがエア・リキード( Air Liquide)社で、1930年(昭和5年)に当時の住友財閥と共同出資して帝国酸素(株)を日本に設立して日本進出をしています。
帝国酸素の本社は神戸の旧居留地38番地で、大丸神戸店の一角の南東コーナーに位置して、大丸の一部の店舗が入っています。当時は1階にアメリカの銀行・シティーバンク神戸支店、2階にはドイツのバイエル薬品、そして3階に帝国酸素本社が入居していたそうです。作家の大岡昇平は、1938年(昭和13年)から1943年(昭和18年)までフランス語の翻訳係として、帝国酸素の本社に勤務していたようです。
父親は高松線沿いの金平町にあった本社工場に勤務して、その後、磯辺通り、そして1953年(昭和28年)に日本初の液化酸素工場として開設された尼崎工場に勤務していました。
エア・リキード社が日本に進出する際に、太平洋戦争前の軍国主義が台頭していた時期で、フランスの外資系であることをカモフラージュするために帝国酸素という社名にしたと言われています。当時の神戸には三菱重工神戸造船所があり、帝国酸素のアセチレン溶接の技術は、軍部にとって重宝されたようで、太平洋線前には溶接切断実習学校を設立したいたようです。外資系だったため、父親は昭和時代には珍しく土日の週休2日制で、フランスの外資系だったので、フランスの祝日であるパリ祭や、聖母マリア被昇天祭も会社が休みでした。
図書館で予約していた大倉山の中央図書館所蔵の大岡昇平「酸素」が垂水図書館に届いたので借りました。昭和30年の作品で、太平洋戦争前に勤務していた帝国酸素(株)をモデルにした小説で、日仏酸素株式会社としてこの小説では著わされています。小説の中では非合法活動のために特高に追われる青年が、日仏酸素株式会社の翻訳係として雇われるのが、大岡自身を描いているようです。
帝国酸素(株)は、日本エア・リキード(株)と社名を変更して、創業の地・神戸を離れて、本社は東京・港区となり、JR神戸線沿いの尼崎工場と、元本社工場があった金平町には、千代田精機の中に関西支社があるのみです。
旧本社があった旧居留地38番地は、仲町通りを挟んで南側にはファミリア神戸本店、この一角は大丸神戸店が多くを占め、鯉川筋(メリケンロード)を挟んで西側には神戸の中華街・南京町が広がっています。