憂国忌 1125
作家の命日を文学忌として雅号やペンネームや代表作を冠して「~~忌」と呼んでいますが、Wikipediaで文学忌として項目となっているのは、三島由紀夫の「憂国忌」のみのようです。
今日、11月25日は、三島由紀夫の命日・憂国忌です、東京・池袋の専門学校で勤めていた時に、勤務校前の歩道橋に、11月になるとベタベタと憂国忌関連で赤尾敏のポスターが貼られ、それが12月になっても、そのままだったことが記憶に残っています。
最近、三島の作品に触れることがなく、手元には全集の2冊と文庫本が2冊があるのみです。学生時代には新潮文庫の三島の作品を10冊以上は持っていたように思いますが、何度かの引っ越しを経て、残っている文庫本は2冊だけ。「音楽」は特に気に入っている作品で、それなりに見返していますが、全集13に収録されている「春の雪」も気に入っている作品ですが、10年近く読んでいないように思います。学生時代のように、なかなか三島ワールドに入り込むことが最近は出来なくなってしまっています。
昨年もblogの11月25日には、憂国忌に関する内容で、同じ様な本の写真を使っていました。
「音楽・憂国忌・三島由紀夫」2023年11月25日
https://www.itsumi.net/?p=2540
11月25日は「ハイビジョンの日」でもあり、企業に勤めていた頃に、アナログ時代のMUSE方式の頃のハイビジョンに関わっており、アナログのハイビジョン方式は走査線が1125本だったことから、11月25日が「ハイビジョンの日」となり、当時は新しいテレビ方式として、結構宣伝もしていました。
今はハイビジョンは完全にデジタル化されて、アナログの走査線の概念がなくなり、デジタルハイビジョン放送(2K)では、画素数 1920×1080(横×縦、正方形画素)または1440×1080(横長の長方形画素)となって、規格としては「1125」という数字とは無縁になっています。
今日は、母親のMRI検査の付き添いで神鋼病院へ。隣接して当時の本務校があり、車通勤をしていた時期もあったので、久し振りに国道2号、高松線、浜手バイパスを通って神鋼病院へ、此処は神戸製鋼の発祥の地です。
検査後、久し振りに摩耶食堂へ行きました。フジオフードグループの「まいどおおきに食堂」で、この摩耶食堂が初めて行った店です。看板には後藤回漕店の名前がありました。この店が発祥だと思い込んでいましたが、昭和時代に大阪で1号店がオープンしていたようです。
最初に大きな玉子焼、これは摩耶食堂オリジナルかもしれません。
あっさり系のランチにしました。