視線は共にキリストに・・・
私にとって聖餐は、「再臨の時の」「過ぎ越しの予型」です。そして過去の「神は実にご自分の御子を世に賜ったほどに世を愛された」という「驚くばかりの」「とんでもない」「びっくり仰天するほどの」出来事なんです。決して「隠し味」ではないんです。「とめどもない」「ごてごてとした」「これ見よがし」の味付けなんです。
そんな味付けされた「聖餐」を淡々として味わう私を想像して下さい。「恵みぼけ」した、わたしの顔が浮かび上がってきませんか?
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
主の祈りを、心から、すがるような思いでする必要のない、「恵みの中に在る」私が、ごってりと味付けされた聖餐にpassionを感じないこと自体が、アメージング・グレースだと思えるんです。
Jan23,1997