神鋼記念病院

 2週間前に母がMRI検査を受けて、その結果を受けての医師の診察の付き添いで神鋼病院へ行きました。

 正式には「神鋼記念病院」で、元々は神戸製鋼所が運営していた企業立病院でした。神鋼病院がある場所は「神戸製鋼所」の発祥の地です。1905年(明治38年)に鈴木商店が小林製鋼所を買収して「鈴木商店 神戸製鋼所」として創業した場所です。鈴木商店は明治から大正期の絶頂期には日本のGNP(国民総生産)の約1割の売り上げがあり、当時は鈴木財閥として三井財閥や三菱財閥と並んで三大財閥の勢力があったようで、現在のIHI(石川島播磨重工)や帝人など鈴木商店にルーツがある大企業は神戸製鋼以外に多くあります。

 鈴木商店の名前は、小学校か中学校の歴史の授業で、大正時代の米騒動において鈴木商店が焼き討ちにあったというのが印象に残っています。

 受診後、病院内にあるレストラン・然の膳 で腸活定食を食べました。

 食後にマンゴープリンとコーヒー。久し振りにコーヒーにミルクをたっぷり入れて、砂糖も入れてデザートを愉しみました。

 垂水から須磨までの海沿いは、摂津・播磨の国境の海岸線に、屏風壁のように立ちはだかる鉢伏山の山裾と大阪湾の間の国道2号線しかないですが、須磨から東側の市街地では国道2号線の真上を阪神高速の高架が覆って、なんとなく走りにくいので、須磨の若宮から海岸沿いの高松線を通って和田岬経由で、神戸駅の南側の七ノ宮神社がある西出交差点まで走って、そしてしばらく国道2号線を走って、神戸駅の東側からは浜手バイアスを通って生田川まで・・・という、かつて自動車通勤をしていた頃の経路で往復しました。

 帰路、高松線を西に向かって走っていると、国境の山で五畿内の西の最果て・鉢伏山がちょうど目の前に望めます。鉢伏の向こうが西国で、古代社会の都人の視点からは僻地で、流刑となった都人も最後に流されることはなく、最果ての地・須磨という五畿内の隅(隅がなまって須磨とも)が流刑地となっていたというマージナルな場所です。須磨に流された貴公子を巡る能楽が「松風」で、このマージナルな地が舞台となっています。

itsumi
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