recollection 2024

— 2024年の1年間を振り返って —

[ Jan1,2024 ]
 10年前の2015年から、隣町・明石の南二見の人工島の東岸壁から、正面が明石海峡となって、明石海峡から播磨灘を赤く染めて上る初日の出を見に行っています。元旦・1月1日の日の出の時刻が7時6分なので、まだ真っ暗な6時前には自宅を出て国道2号と国道250号を西へ、只管走ります。遅くなると車を駐める場所が遠くなってしまいます。

 
 岸壁のコンクリートの防波堤の上で、寒さでかじかむ指を暖めながら待っていると、東の空がオレンジ色に染まって、日の出の時刻を過ぎて、東の空の端の雲に隠れている太陽が、もうすぐ貌を出しそうです。

 そして2024年の初日の出・・・播磨灘の海面に光り輝く光の帯が現れ、そして数分もすると周囲は明るくなりました。

[ Jan3,2024 ]
 「走り初め」で神戸から明石市と播磨町を走り抜けて加古川市までロードバイクで52キロの初サイクリングをしました。

  途中の休憩時間を入れて4時間あまりのサイクリング、走り慣れたいつものコースで、舞子公園から国道2号線で大蔵海岸公園からしばらく国道28号線で明石の市街地へ。明石浦漁港を走り抜けて、県道718号の大観橋西詰から県道554号線(姫路明石自転車道)を走って林崎漁港を横目で見ながら林崎海岸へ。

 その後は海岸線沿いを江井ヶ島を経て、東二見漁港を走り抜けて山陽電車西二見駅前から、播磨町に入って、播磨町道浜幹線で加古川市へ至りました。

 途中の播磨町は、かなり宅地化が進んでいますが、所々に田畑が残っています。正月の柔らかに陽射しがヒコバエを輝かせていました。

[ Jan17,2024 ]
 垂水駅の朝一番の上り電車に乗って、神戸・東遊園地での、阪神淡路大震災から29年の「1.17のつどい」に参列してきました。

 東遊園地には、夥しい数の竹灯篭とガラスキャンドルが灯されています。

 竹灯篭には、それぞれ文字が書かれ、「絆」「心」「生」「希」「仲」・・・願いが込められた竹灯籠に次々に火が灯されて、そして地震が起こった時刻・午前5時46分が近づくと、竹灯籠の前にしゃがんで、 午前5時46分、会場の照明は消え、灯篭のロウソクの光の中で黙祷、その後も竹灯籠えを見つめる姿がありました。

 東遊園地の南隣にある神戸関電ビルが、部屋の照明を使って「1.17」の数字を映しています。朝早い時間なので、交通の便の関係で、5時46分を過ぎても、次々に参列する方がいらっしゃいました。1月17日は、いつもより早めに家を出て、出勤や登校前に東遊園地に立ち寄る方もいらっしゃるようです。

[ Jan22,2024 ]
 今年は、演奏会を積極的に聴きにいきました。

 2024年の最初は、神戸文化ホールでのフェニックスフィルハーモニックオーケストラの第14回演奏会でした。開場に到着すると行列がロビーに収まらず、文化ホールの外まで長く続いていました。

 ステージを俯瞰するような1階真ん中の後部よりの座席。演奏曲目は、シュトラウスの美しく青きドナウ、グリーグのペール・ギュント、そして聴いたことがないリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」でした。
  演奏会では、金管楽器の輝くような音色、木管楽器のぬくもり、打楽器のインパクト、そして弦楽器の魅せられる音色も満喫することができました。そしてロシアの民族音楽と、アラビアンナイト世界の東洋的な雰囲気のコラボのような音の調べに触れることが出来ました。アンコールはチゴイネルワイゼンでした。

[ Jan27,2024 ]
  コロナ禍前までは、クリスマスのアドベントの時期に、1995年の阪神淡路大震災の「復興の光」として神戸・旧居留地と東遊園地で開催されていた「KOBEルミナリエ」ですが、2020年から蔓延していたコロナ渦の影響で2019年12月を最後に休止。そして4年ぶりに、「1・17の震災の日」の後の時期に開催となりました。

  薄暮の頃に点灯して、午後9時半まで、4年前までは、日没がもっとも早い時期の開催でしたが、今年は、これまでより日没が30分ぐらい遅くなります。 まだ空が明るい頃の点灯です。

  これまでよりも規模は大きく変わっていますが、LEDで色鮮やかになっています。カメラの感度を上げての撮影、見学している人の撮影スタイルが、写ルンですやフィルムカメラからデジカメ、携帯、そしてスマホと、29年前の12月に始まったルミナリエの期間で、大きく変わっています。歌人の俵万智の歌が頭をよぎりました。

 はなび花火 
 そこに光を 
 見る人と
 闇を見る人いて 
 並びおり

   詩集「かぜのてのひら」より、俵万智

[ Feb4,2024 ]
 幼い時に、近くにあったスーパーがトーホーでした。神戸を中心に近隣の明石や加古川、高砂にも店舗があり、神戸の地元のスーパーです。今でも私にとってのスーパーの原風景はトーホーです。

  その スーパー・トーホーが、スーパーマーケットの事業をバロー(八百鮮、ヤマタ、中部薬品)と三杉屋とに譲渡して、全店舗が閉店するようです。3歳から20歳まで住んでいた垂水・滝の茶屋の近くにあった滝の茶屋店は三杉屋となるそうです。子どもの頃、母方の祖母が、近所のスーパーの賄いをして、スーパーの2階の従業員スペースに何度か行った記憶があります。

[ Feb12,2024 ]
 2月中旬は1年でもっとも寒い時節ですが、昼前から快晴となって、お昼過ぎには、早春の3月半ば頃の雰囲気となったので、午後からサイクリングに。

 明石川を渡って林崎漁港です。昼網の漁から帰ってきたのか、漁船が並んでいました。

  さらに西の小さな漁港・中八木漁港ではワカメを天日干ししていました。夏には此処に干しダコが並び。秋には干し柿が吊るされます。

[ Feb29,2024 ]
 4年に1度しか巡ってこない2月29日に神戸のルーツである兵庫津(兵庫宿)近辺を散策しました。

 兵庫城跡、最初の兵庫県庁があった場所です。

  大輪田泊(兵庫津)の中心地だったところ、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船の水揚げ地跡です。北前船は北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かって航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことです。

[ Mar1,2024 ]
  湊山小学校が2015年に閉校となって、その後校舎がリノベーションされて、1階の図書室や理科室などの特別教室を活用して、一昨年の2022年に「みなとやま水族館」としてオープンしていました。湊山小学校は父親が通っていた小学校だそうです。

 大きな水槽はなく、元々の学校の備品だったような図書室や理科室の大きめの頑丈な木のテーブルの上に水槽が置かれ、そして椅子が置かれて、椅子に座ってゆったりと水槽を眺めることが出来るようになっています。

 ここのスペースは、靴を脱いで、敷かれた絨毯に座り込んで水槽を眺めることが出来ます。

[ Mar11,2024 ]
 神戸の街中で見応えがある広い庭園は「相楽園」が唯一です。日本の三名園と言われているのは、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園で、どれも大名庭園です。神戸は、兵庫の港町と幕末からの貿易港で発展した街なので、大名屋敷そのものがなかったです。

 神戸の相楽園は、神戸の北に位置する三田藩の藩士・小寺泰次郎が幕末・維新に掛けて、開港した神戸で事業に成功した小寺家の私邸でした。息子が第11代神戸市長になったこともあってか神戸市が譲り受けて相楽園になった経緯があります。

  灯籠、松の木が彼方此方にあり、池に流れ込む流れなど、随所に工夫が施された庭園です。

[ Mar13,2024 ]
 東経135度の日本標準時・子午線上に建てられた明石天文科学館、久し振りに訪れました。

  人丸山という標高が24.6mの山の頂上には、歌人の柿本人麻呂を祀る柿本神社があり、山腹に明石天文科学館があります。真正面には大蔵海岸が広がり、その前には明石海峡、そして海峡の向こう側には淡路の島影を望むことが出来るロケーションです。

 現在稼働してプラネタリウムとしては、もっとも古いもので1960年から60年以上稼働しているようです。プラネタリウムは、池袋で働いていた頃に、サンシャイン60のプラネタリウムを観たことがありますが、途中で眠ってしまって、あまり記憶がないです。また中之島の大阪市立科学館のプラネタリウムも観たことがあり、松島・仙台を旅行した時に、青葉城の帰りに、当時は広瀬川沿いの西公園にあった仙台市天文台に立ち寄ってプラネタリウムを観た記憶もあります。

  13階と14階が展望台になって、明石海峡、架け橋、淡路が一望できます。以前、明石アマチュア無線クラブに入っていて、確か、常設のアマチュア無線局JA3YASが天文科学館に常設されて、月に1回のミーティングで来ていました。展望台に無線機を置いて、何度か運用した記憶があります。阪神淡路大震災で移設されてしまったようです。

[ Mar28,2024 ]
 2024年は、いろいろなコンサートを聴く中で、結構吹奏楽の演奏会へも足を運び、長田高校吹奏楽部の第32回定期演奏会も文化ホールで聴きに行きました。

 大ホールで神戸高校吹奏楽部の定期演奏会、中ホールで長田高校吹奏楽部の定期演奏会が同じ開演時間だったので、開演時間を少し過ぎた頃に文化ホールに着くと、入り口前に2つの行列が出来ていました。

 3部構成で、第1部が現役生ステージ、春休みなので1年生と2年生の演奏で、第2部が企画ステージ、第3部が現役生とOB・OGとの合同ステージでした。第2部はミュージカルの一歩手前のような、ストーリーと演奏のコラボのようなステージで、文化祭の延長線のような感じでした。

[ Apr28,2024 ]
 神戸の市街地に迫る六甲山系にある布引の滝へ久し振りに行きました。

 山陽新幹線の神戸駅は、南側には神戸の市街地と神戸港が広がって、北側はすぐに六甲山系で、駅の北口がそのまま登山口になっています。

 谷川沿いに、山の奥地へ・・・鬱蒼とした山あいで、まだ朝も早く、川沿いの谷間までは陽が射し込んできません。街は近くですが空気感が違っていました。そして布引の滝・雄滝(おんたき)です。日本三大神滝のひとつで、日本三大名瀑にも選ばれることもあるようです。高さ 43m、滝壺は面積が430㎡で深さが6.6mあるそうです。

[ May11,2024 ]
 2000年に淡路花博の会場となった跡地が明石海峡公園と淡路夢舞台となっています。

 この辺りに花博の時にはイベント会場になっていました。花の中海周辺ではルピナスが一面に咲き誇っていました。背景に見える橋梁は神戸淡路鳴門自動車道で、本州・神戸から明石海峡を経て淡路島を縦断し。鳴門海峡を経て四国・徳島へ至る高速道路です。

 淡い色の花々が、公園一面に咲き誇り、5月の快晴の陽光を浴びて輝いていました。

[ May17,2024 ]
 3歳まで住んでいた須磨の徒歩圏内にある離宮公園でバラが見頃となっていました。

 浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞の別邸だったのを宮内省が買収して大正3年(1914年)に完成した旧・武庫離宮(須磨離宮)が須磨離宮公園のルーツです。武庫離宮というは、この地が、元々は八部(やたべ)郡だったのが、明治29年(1896年)に神戸市となった区域以外の武庫郡・菟原郡・八部郡が、武庫郡となったため、当時は武庫郡須磨町だったためです。

 離宮公園の中心部、西洋式庭園と噴水が並ぶキャナル、その向こうにはテラス式庭園があり、レストハウスから眺めた光景で、公園の向こうに大阪湾が望めます。

 キャナル周辺のバラの写真です。「王侯貴族のバラ園」というそうで約180種4000株のバラが華やかに咲いていました。

[ May31,2024 ]
 時々、地元のニュースで取り上げられている「歩行者・自転車 県道」へ行ってきました。

 神戸市西区の学園南の国道2号線のバイパスから、県道488号 長坂垂水線へ分岐する道を進むと、「自動車・バイク」通行止めの看板がたくさん並んでいました。この先は県道488号で垂水区長坂に向かいます。サイクリングロードとして整備した県道はありますが、昨年の秋に車が通行止めになって、今は結果的に一部が歩行者・自転車の県道となっています。

 砂利道の部分は民有地で、県道部分は幅2メートル程度の古くから道が県道に指定され、それが舗装された歩道のような部分です。昔からの狭い道が、付近が造成・開発される中で、いつしか両脇の民有地も含めて地域住民の生活道路のようになっていたようです。県道部分だけが舗装されて、民有地部分は砂利道のまま。県道部分には車は通れないので、最初からサイクリングロードのような自動車県道でもないにも関わらず、車・バイク(原付)を通行止めにして、歩道のような県道となっています。

[ Jun15,2024 ]
 地元の神戸・垂水区にある五色塚古墳で「古墳祭り」があったので、はじめて見学しました。

 明石海峡を見下ろす小高い丘の上にある大きな前方後円墳で、この古墳に葬られた人物は特定されていませんが、大和の都にとって西国の中国地方や四国、九州、そして朝鮮半島や中国大陸との海路として要所であった明石海峡を一帯を支配していた豪族の墓だと言われています。

 地元の霞ヶ丘小学校の有志による古墳パレードが、古墳の周囲を巡って、最後は古墳の後円部に上がってセレモニー、地元の小学生がつくった埴輪がサークル状に並んで、その周囲で鏡と剣と勾玉が捧げるセレモニーがありました。

[ Jun29,2024 ]
 今年は毎月のように1つか2つの演奏会を聴きましたが、その中で室内楽のコンサートとして明石の駅前にあるアスピア明石の子午線ホールへ行きました。

 5人の木管アンサンブルで、小さめのホール、初めて来ました。

 2重奏から5重奏まで、木管の柔らかい響きを愉しんできました。 小ホールのような感じで、舞台まで10m弱ぐらい、結構フルートの音って、このようなアンサンブルだと迫力があるなあ~と感じました。なによりも木管の奏でる柔らかい音に包まれた梅雨のひとときでした。

[ Jul15,2024 ]
 海の日に、”神戸港で働く船を見に行こう!”というキャッチフレーズで神戸港で開催された「神戸港ボート天国」へ行ってきました。

 神戸海上保安部の巡視艇「ふどう」、あまり大きな船ではないので、人数制限で結構船に乗り込むまでに待ちました。操舵室の計器がほとんどデジタル表示とディスプレー、それとボタン類になっていました。

  船の前の岸壁にはPRブースがありました。いろいろな記念品の販売と、パンフレットの配布をしています。子ども用の海上保安庁の制服が用意されて、制服を来た子供に、テレビ局が取材をしていました。お母さんと弟が、その様子を横でじっと見ていました。

 帆船「みらいへ」、特定非営利活動法人ゼリ・ジャパンが保有する航海練習船だそうで、神戸港を母港にして体験航海事業用だそうです。日本の帆船として初めて世界一周航海(東回りヨーロッパ航路)を達成したそうです。 調理室では、何人かで料理をしていました。見学は午前だけで、午後からは体験航海の予定が入っており、厨房では食事の準備をしていました。

[ Jul19,2024 ]
 兵庫県小野市の「ひまわりの丘公園」へ行きました。ほぼ満開でした。

 夏にはひまわり、秋にはコスモスが、ひまわりの丘を埋め尽くします。 まだ梅雨明けしていませんが、降り注ぐ陽光がひまわり畑に降り注ぎ、ひまわりを照り輝かせてくれます。

  広いひまわり畑の中を歩き廻っていると、汗が身体中に噴き出すようでした。雲から太陽が貌を出すと、ひまわり畑全体が輝きます。

 加古川中流域の平野で、見渡す限りのひまわりは圧巻でした。

[ Jul27,2024 ]
 パイプオルガン&ヴァイオリンの演奏会へ行ってきました。

 会場はパイプオルガンの演奏会に今年2回行った神戸教会です。パイプオルガンの演奏は神戸教会のオルガニストの瀬尾千絵さんで、ヴァイオリンは日蓮宗出身で現在は浄土真宗と自己紹介された西山枝里さんでした。

 アンコールは、主よ、人の望みの喜びよ・・・ヴァイオリンの弦の奏でる音とパイプオルガンの重厚な音が、礼拝堂の高い天井まで響いていました。演奏会終了後には、ヴァイオリンとパイプオルガンに子供たちが集まって、実際に楽器に触れていました。

[ Sep14,2024 ]
 神戸・新開地に、主に落語興行の寄席・喜楽館へ初めて行きました。

 東京の定席、新宿・末広亭、上野・鈴本演芸場、浅草・浅草演芸ホール、池袋・池袋演芸場には、一時は毎週のように通っていたこともありますが、30年前に神戸に戻ってからは、関西の落語の寄席は初めてです。

 2階席と併せて210席の寄席で、こじんまりした感じです。新しい寄席なので音響設備は良かったです。

 前座の笑福亭喬龍が「時うどん」、続いて笑福亭智之介が「しびんの花活け」、桂 三ノ助が「寿限無」、そして露の団六が「怪談」というプログラムでした。団六の怪談は初めて耳にする上方噺の怪談で、帰宅してネットで検索しても演目がわかりませんでした。ホールでは出演者のお見送りがありました。

[ Sep15,2024 ]
 母校の神戸高専吹奏楽部の演奏会へ足を運びました。

第1回の定期演奏会、第18回の定期演奏会以来、3回目です。第1回は舞子台の旧キャンパスの体育館で、第18回が明石市民会館で、今回も明石市民会館でした。第1部はポップステージの3曲で、青いTシャツでの演奏

 第2部はシンフォニックステージ、服装が白のシャツになって、ブランバンドの定番のような曲の演奏があり、そして第3部はマーチングのステージ、第1回の演奏会にはマーチングはなかったです。

 第18回の演奏会より、照明の演出が多様多種で、「聴かせる」+「見せる」という2つの要素のステージでした。

[ Oct6,2024 ]
 昨年は、夏があまりに暑くて、サイクリングを避けて、そのまま秋も自転車で遠出をしませんでした。スポーツジムに通い始めたこともあって、その後はジムでの筋トレばかりでした。今年は、加古川・高砂・姫路までサイクリングを愉しむ予定だったのが、昨年以上の猛暑、それと6月にテニス肘となって、自転車で遠出をすることなく、やっと加古川まで往復70kmのサイクリングを愉しみました。

 朝、8時ごろに自宅を出て、海岸線沿いを只管西へ。明石川に架かる大観橋西詰からは県道554号・姫路明石自転車道が海岸線に沿って、その後は明石市から加古川市に入って、山陽電車沿線に近い、車の少ない道を通って加古川の河川敷まで、山陽電車の加古川鉄橋を、下から見上げるようにして、そのまま加古川の上流に向かって河川敷を走りました。

明姫幹線の国道250号線の播州大橋で加古川を渡って高砂市に入って「古新堰堤」まで。河口より約3.8km地点にあり、河床の低下の防止とともに、高砂市の水源に対する塩水遡上の防止のための堰堤だそうです。

 70.21kmを、食事や休憩時間も入れて6時間28分で走ったことになります。 平均心拍数が121bpmで、運動消費カロリーが2316kcal、無酸素運動が147分で、更に負荷が高い過負荷状態が67分でしたので、心拍数を気にしながらも、結構、高負荷になっていました。

[ Nov7,2024 ]
 2泊3日の人間ドックを受けました。

 この数年以上は毎年続けて人間ドックを受診しています。 この時期は受診者が少ないようで、同じ人間ドックの2泊3日コースは5人で、4人部屋を一人で使うことが出来ました。この人間ドックの期間中に、アメリカ大統領が決まり、そして国産のH3ロケットの4号機の打ち上げが成功し、それらのニュースを病室で知りました。

 身体測定・腹囲測定、血圧、そして看護師の問診、体成分分析(InBody)、視力・聴力・眼圧、胸部レントゲンと心電図、採尿と採血、腹部超音波検査、骨密度検査、経口の胃部内視鏡検査、内科検診、眼底カメラ、糖負荷試験と続き、そして医師からの結果説明と保健師からの保健指導でした。リュックに入れて持っていった村上春樹の1986年から1989年までのヨーロッパ滞在記(旅行記)、「遠い太鼓」を、待ち時間で過ごす病室のベッドで読んでいました。

[ Nov9,2024 ]
 大坂・心斎橋で開催された「大阪ハイエンドオーディオショウ2024」へ行きました。

 各ブースは、シングルルームのような小さな部屋からダブルルームや宴会場のような部屋まで、いろいろでした。

  アナログ復古ブームで、音源にアナログレコードを使っているブースが結構あり、4分の1ぐらいはレコード、それとPCやタブレットのデジタルデータを用いているブース、そしてCDを用いているブースと、いろいろでした。

 強力なアンプ、大きなスピーカで広いスペースで聴くハイエンドオーディオの奏でる音は、自宅の小さなブックシェルフ型スピーカーとは段違いです。でも数百万円の機器と広い部屋は自宅では無理です。

[ Nov18,2024 ]
 自宅近くが神戸マラソンのコースで、これまではマラソンの日は、交通規制が厳しいので近寄らなかったのですが、初めてマラソン観戦をしました。

 海神社の浜大鳥居や漁協の直販所のある周辺では、西垂水と東垂水の布団太鼓の神輿をそれぞれコース沿いに出して、青年団らしき人たちがランナーに応援をしていました。声援に応えるランナーもいました。

  西舞子の山田川右岸の折り返し点を経て、戻ってくる選手の姿も現れ、東へ西へと行き交う光景が始まります。圧倒的に折り返し地点に向かうランナーが多いですが、この辺りでゴールタームが4時間近くとなって、平均時速が10km/hぐらいですので、私にはとても無理です。

[ Dec7,2024 ]
 はじめて第九のコンサートに行きました。

 開場前に早目に言ったのですが、すでにロビーの外まで行列があり、開場を早めて入場しました。

 「市民の第九オーケストラ」と「市民の第九合唱団」という、この演奏会のための市民参加型のオーケストラと合唱団の共演のようです。それに指揮者とソプラノソリスト、アルト、テノール、バリトンの4人のソリストとコンサートマスターを迎えての演奏でした。 1階席の後ろから数列目ぐらい、ほぼ中央の座席で、全体を俯瞰するような感じで、お気に入りのポジションに座ることが出来ました。

 第4楽章、これもCDで聴いていると意識していなかったですが、コントラバスとチェロが引っ張っていくような感じで曲が進むのが視覚的によくわかって、演奏は耳の聴覚だけではなくて、視覚の眼でも愉しむ要素が大きいことを実感しました。これがその後のバリトン独唱の「O Freunde, nicht diese Töne! (おお友よ、このような音ではない!)」につながるのだなあ~と、演奏会で第九を見聞きして、はじめてわかりました。

 バリトンの独唱の時は、コントラバスとチェロ、それにヴァイオリンとヴィオラが加わって、テノールやアルト、ソプラノの歌声が呼応して、そして合唱と続き、楽器と声楽が織り成す歓喜の歌を眼で見てそして耳で聴いていると、感動して鳥肌が立ちました。

[ Dec7,2024 ]
 第九の演奏会の前に、地元で「楠公さん」と呼ばれている主祭神が楠木正成で、楠木公を祀っている湊川神社に立ち寄ると、紅葉が見頃でした。

 もう12月の中旬を目の前にした時期に、楠公さんの境内の紅葉が見頃で、冬のやさしい陽射しに輝いていました。

 遅い七五三と思われる親戚連れが何組かいて、紅葉をバックに記念写真を撮っていました。

 以前は龍野など、遠くまで紅葉の名所へ行っていましたが、楠公さんで12月になってから紅葉を愛でるとは思ってもみなかったです。