青春の墓標

 60年安保闘争、特に樺美智子の死に影響を受けて安保闘争に参加し、警官隊と衝突して負傷した後に、自宅で自らの生命を絶った奥浩平の苦悶を記したノートや恋人宛の書簡が遺稿集として出版されたのが「青春の墓標」です。今年で出版されて50年、もう文庫本も絶版となっているようで、図書館で予約して受け取りました。文芸春秋の初版第一刷で、神戸市立図書館(現大倉山中央図書館)の昭和40年11月のスタンプが押されており、出版されてすぐに図書館に入った本で、図書館製本されていました。

 「青春の墓標」のまえがきは実兄が執筆して、当時の中核派の最高幹部・北小路敏が解説を書いていました。奥浩平は横浜市立大で中核派に属し、同じ高校だった恋人は早稲田大で核マル派に属していましたが。その後内ゲバが激化して別れることになったことも、自ら生命を絶つ一因とも言われています。

 蒲田行進曲などを手掛けた つかこうへい は、奥浩平がペンネームの由来だそうです。

 ネットで検索すると、10代の頃に高専の同級生から借りて読んだのが左側の文春文庫版でした。ネットで検索していると、10年前にレッド・アーカイヴズ刊行会から復刊されていました。表紙には一輪のカーネーションが描かれていました。

 手元にある愛読書・高野悦子の「二十歳の原点」の表紙にもカーネーションが描かれています。高野悦子は奥浩平の「青春の墓標」を愛読していたようです。奥浩平が自ら生命を絶った時に、その手に一輪のカーネーションが握りしめられていたそうです。

itsumi
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