安保闘争
奥浩平の「青春の墓標」には、遺稿の他に実兄の まえがき と あとがき があり、それに加えて元全学連中央執行委員長の北小路 敏による解説があり、遺稿より先に読み始めました。
実兄・奥 紳平による「まえがきにかえて」には、
浩平は、去る三月六日夜、自宅の勉強部屋で一輪のピンのカーネーションを握りしめ、夜具の上に俯せになって 硬直していた。勉強机の上には、「資本論」 第一巻、商品 と価値の頁が読みさしのまま開かれていて、遺書はなかった。しかし、机の引出しから一〇〇錠入りのプロバリンの 空瓶三個が発見された。検死官の推定によれば、午前十時 前後に服毒、午後四時頃絶命した。
また元全学連中央執行委員長の北小路 敏による解説では、
安保以前、正確には一九五八年以前の日本学生運動は、一貫して日本共産党の単独支配下にあった、という著しい特徴を持っています。終戦後、先進的学生たちは「共産党は戦争に反対した唯一の党」と信じて、そのもとに馳せ参じました。それ以来、一般学生の支持政党を調査するといつも社会党支持が圧倒的多数であったにもかかわらず、活動家のほとんどは共産党員またはその支持者であり、社会党は全くその学生組織をつくることができない、という状態が続いてきました。
1965年当時の学生運動の各派系統略図とともに、60年安保の前後の学生運動についての説明が、わかりやすかったです。興味深いので、テキストに起こしました。
学生運動の潮流と課題
https://www.itsumi.net/?page_id=7637