信仰の主人公

 賛美についてわたし自身が思うことでもありますし、2人か3人の方と議論したことがあるのですが、それは”賛美の主体”についてです。

 賛美歌を歌うということにおいて、(信仰のドリンク剤の話にも通じるのですが)賛美歌を歌う<我>が、歌うという行為において元気になり、Hiになることがあります。わたし自身も大きな声を出して歌うことによって、わたし自身が元気になってしまい、気分がいいことがあります。”神を賛美する”ことが<嬉しく>てHiになるのではなく、”歌う行為それ自体”が<嬉しく>てHiになるのです。

 「誰の為の信仰か?」という問いかけに、<心貧しき者>からほど遠いわたしとって、「ただただ神のために」を目指しつつ、しかし、自分の為の信仰に逡巡しているのが現状です。そして礼拝で大声で賛美歌を歌ってストレスを解消している自分がいます。

 わたしの信仰の主人公は、”神”であることを目指しつつ、でもやっぱり自分なのです。この賛美歌の歌詞が頭に浮かびました。

 主を仰ぎ見れば 古きわれは、
 うつし世と共に 速く去りゆき、
 我ならぬわれの あらわれきて、
 見ずや天地ぞ  あらたまれる。
  賛美歌355番
  July 25,1995

itsumi
賛美