「神への讃美」
「神への讃美」というと私は、「讃美歌を歌う」ことを単純に連想してしまいがちですが、「賜ったいのち」のいろいろな部分を通して、人それぞれの讃美があるんだろうなあと、おぼろげに考えたりします。
「信仰告白としての讃美歌(Hymn)」も「讃美としての信仰告白 」も、結局は同じことかなあと、思いました。
伝道・宣教の働きを通しての讃美も、ひとりひとりのクリスチャンが日常生活の中での「キリストの証人」たることを通しての讃美も、それぞれを神は「私の目には尊い」と、「香ぐわしい捧げもの」として受け入れてくれるのでしょう。
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大いなるは主のまことぞ
朝に夕にたえせず
みめぐみもてささえたもう
たたえまつらん わが主を
讃美歌第二編 191番
曾野綾子の「永遠の前の一瞬」という題名のもの(確かディーケン先生との交換書簡集)がありましたが、この本の名前と、讃美歌第二編191番の歌詞とに共通するような「讃美する姿」を想像します。それはヨブ記の最後の場面でのヨブの姿とも重なります。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげずみ、
ちりと灰の中で悔い改めます。
旧約聖書ヨブ記42章5、6節 新改訳
Mar29,1997